武道家・角田信朗氏を悼む。

まあ人間というか生命体としての角田信朗氏は生きているのだが、武道家としての角田氏は事実上死んでるので(苦笑)。


僕はかつての空手家・角田信朗が好きでした。
何と言っても極真の第7回ウエイト制(90年)に出て第4位に食い込んでいるのですからね、彼は!!
極真への他流派の侵略者としては92年の第9回ウエイト制大会重量級 準優勝の白蓮会館・南豪宏が有名ですが、それに先んじること2年、まさに角田は最初の本格的他流派侵略者だったのですよ。
(元祖侵略者としては現・無門会代表の富樫宜資がいるけど、彼は「一人稽古で極真の大会にたびたび参戦していたのであって−−知られてないけど実は何回も参戦して結構負けてる・笑−−完全な他流派とは言い難い^^;)
何と言ってもあのマス・オーヤマが角田の手を取り「いやあ、いいねえ君は!! 全日本にも是非出てくれ!!」と言ったという逸話は、空手家・角田信朗の真摯な態度を、史上最高の空手家・大山倍達も認めていたということを示すものでしょう。


さらには92年のリングス参戦・・・初参戦時のヘルマン・レンティングとのガチ試合の緊張感、そしてロブ・カーマンとのガチンコ試合で顔面にヒザを落とされての壮絶な敗戦などは、まさに新たな戦場へと踏み出す者の潔さを思わせ感銘を受けたものですよ(ちなみにカーマンと佐竹はなれ合いのドローに終わっており、フルコン山田編集長にツッコまれたりしているので、余計に角田の壮絶な敗戦の方が印象に残った・苦笑)。


そしてK−1旗揚げ後はどちらかというと脇に回るのですが・・・それでも「最後の日本オオカミ」黒沢浩樹という空手の一時代を担った選手との果たし合い的試合(1RKO勝ち)などは胸を打つものがありましたよ。
さらにはアントニオ猪木引退試合直前でのエキシビションも勤め・・・これは猪木のキャリアに対し誠実に向かい合った角田に対して猪木もまた最後の凄みを見せた名エキシビションでありました。


そして・・・何よりアンディ・フグの死に際を看取ったのが角田であったというのは忘れがたいエピソードで。角田の「カモン、アンディ!」の声に3度までアンデイの鼓動が蘇ったというのは、あまりにも痛切なエピソードであり・・・「そんなことあるわけないじゃん!」って人とはあんま話したくないなあ、ぼかあ(苦笑)。


その角田が、しかし21世紀になる頃からどんどん変質していったというのもまた事実なのですね。2002年K−1決勝ホースト対バンナにおいてバンナの腕が折れてるにも関わらずスタンディングダウンを取るのみで止めなかったという事実はまさに角田のレフェリーとしての資質を疑わせるものであり。


http://www.youtube.com/watch?v=vAcC5jMDZCI&NR=1


そして今回の武田戦で武田が白目を剝いているにも関わらず止めることなくまたローによるダウンもとることなく続行させたというのは・・・。


http://www.youtube.com/watch?v=M22htZsUfe4


正直、今回の署名運動などは、「角田さん、そんな調子なら俺が首を取ってやるよ!!」という思いがあり・・・・実際にグリフォンさんには「角田の首を獲った男」の異名をいただいたわけですが(苦笑・こちらのコメント欄http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20091114)。
出来れば取りたくなかったよな、あんたの首なんて。


さらには「これからK−1の試合は驚くほど止めるのが早くなるでしょう」なって捨て台詞吐くようじゃ・・・。


「つまらねえ首だったな」と思わざるを得ないのが哀しいですよ、俺は。


さらば、武道家角田信朗
あんたはアンディと一緒に、あの20世紀最後の夏に死んでたんだな、きっと。


レンティングとの試合後に、無念にむせび泣いていたあんたが好きだったよ、本当に。