馬場と猪木。50年前に行われた、映像の残っていない伝説の2試合。

あー、映像が残ってないと貼りつける作業が要らないので楽だ(泣笑)。


この2試合を結びつける形でまとめた論考は今までないとの自負のもとにお送りいたします(笑)。


例によって駄文ツイート転載。ご笑覧ください。


>50年前の明日(28日)、ジャイアント馬場ルー・テーズを2対1のスコアで破り、インターナショナル選手権の王座を防衛。いきなり余談で何なのですが、流智美さんの「鉄人ルー・テーズ自伝」(実質、流さんによる「評伝」^^;)はもちろん名著なのですが、とにかく猪木ファンである流さんの好みで


>猪木さんがらみの試合エピソード(73年のゴッチさんと組んでの最強タッグ戦、75年の直接対決シングル戦)はやたら触れられてるのに、この66年の対馬場戦は全く黙殺されてるという・・・(苦笑)。しかし本来それで良いわけはない。これこそが力道山の後継者としての地位を馬場さんが


>確立させた最重要試合だからですね。「テーズから2フォールで勝つ」力道山でさえなしえなかったことを馬場がやってのけることで、新時代の幕開けを明確にしてみせたまさに歴史的試合であります。そしてその内容もまた「テーズに勝つ」ことの重要性を物語っている。一本目は21分13秒


>バックドロップを防ぎながらヘッドロックをかけ続けそのまま抑え込んで勝利。「死に物狂い」を良く表現した勝ち方ですね。二本目は2分45秒ついに炸裂したバックドロップでテーズが取り返す。そして三本目、テーズがまたもバックドロップにきたところをコーナーポストを蹴った馬場さんが


>押しつぶし0分51秒体固め勝利・・・「バックドロップのダメージがあるからそれ以上続くと馬場は敗れていた」そういう印象を与える内容でないと、誇り高きテーズは2フォールを許さなかった。それをうかがわせる内容であるわけですね。かの梶原一騎原作・辻なおき作画「ジャイアント台風」


>のラストクライマックスになってる伝説の試合であります・・・しかし、これほど重要な試合なのに、動画が残っていない(涙)。まあ66年と言えばNHK大河ドラマでさえ最終回とかしか動画が残ってない時代ですからねえ。無理もないと言えば無理もないのですが、しかし惜しすぎる・・・


>それがまたこの試合の神秘性・伝説性を保っているゆえんでもあるわけですね。・・・そしておそらくこの試合に対し、最大限の羨望と嫉妬を抱いていた選手がいる。当然ながら、馬場さんの永遠のライバル(この時点ではもちろんそんなポジションにはいない)アントニオ猪木でありますね!!!


>この試合の時、猪木さんはまだ64年から2年間続いた米国遠征の途上にいた(追記。小泉悦治さんのご教示によれば米国遠征の最終試合は2月14日なので、この頃は後で奥さんになるオレゴンの恋人さんのとこにいただろうとのこと・^^)。馬場対テーズ戦の内容と結果を知った猪木さんが激しい嫉妬の感情を抱いたことは想像に難くない。実はこの4年前、猪木さんはすでにテーズと対戦してるのですね。結果は4分25秒パイルドライバーでフォール負け


>まあデビュー2年にしてテーズの胸を借りるだけでも十分エリートコースではあるのですが、海外遠征を経て「あの時とは違う」との思いを深めている猪木さんにとって、馬場さんの快挙は「差を広げられた」とのいら立ちを深めたものであったろうと。そしてそのいら立ちを持ちながら、実は翌月


>3月12日には猪木さんはワールドリーグ戦参加のため、馬場さんとのハワイでの合同練習に参加してるのですね。テーズ戦勝利から2週間と経っていない馬場さんはすでにエースとしてのオーラをまとっていて、猪木さんの目にはまぶしく見えたであろう。そしてそのわずか1週間後、豊登接触


>した猪木さんは、豊登が画策していた新団体への参加を決意、日本プロレスへの反旗をひるがえしたわけであります。馬場対テーズ戦から3週間と経っていない。どれだけ馬場さんの快挙に猪木さんが刺激されたかという話でもある。そして7か月後、新団体・東京プロレスの旗揚げ戦で猪木さんが


>繰り広げたのが・・・昭和プロレスファンならもうお判りでしょう。これまた伝説の対ジョニー・バレンタイン戦ですね!! 当時の猪木さんから見ればバレンタインははるか格上の売れっ子強豪。新興団体の東プロからすれば「よく呼べたな」という存在でもある・・・しかしもちろんテーズとは


>一ケタ格の下がる選手でもある。しかしだからこそ猪木さんは「俺の手で盛り上げてやる」と決意した。テーズと日プロの権威におんぶにだっこで(と猪木さんは思っているw)のし上がりつつある馬場さんに対し、目にもの見せてやると覚悟を固めた・・・その覚悟が大会前の記者会見にも現れた


>大会前の会見で、猪木さんはバレンタインの顔を張り飛ばしてるのですね!! 当時23歳の猪木が、15歳上のバレンタインの顔をですよ!! スペースローンウルフ時代の武藤が、ブロデイの顔を張り飛ばすようなもんだと思っていただきたい(恐ろしい・・・^^;)。そして試合の方も


>バレンタインのラフ殺法に、独特の弓をひくストレート(ナックルアローを20年以上使い続けたのですね、猪木さんは・・・)で対抗し、ついに場外でのアントニオ・ドライバー(フロントネックチャンスリードロップ=ブレーンバスターの原型)を決め猪木さんが31分56秒リングアウト勝ち


>蔵前国技館1万1000人の大観衆を一夜にして熱狂の渦に巻き込んだわけであります・・・この試合の映像が残ってないのがこれまたもどかしい(泣笑)。しかしこの一戦が、馬場さんをして猪木さんをライバルとして本格的に意識させしめた試合であることには違いない。何といっても23歳の


>猪木さんが国技館満員の客を熱狂させしめる選手であることを、満天下に知らしめたのだから。そしてその背景には、テーズに2フォール勝ちした馬場さんへの嫉妬が猪木さんを駆り立てたことが間違いなく存在する。日本のプロレスを牽引した二人のライバルレースはまさにこの時始まった・・・


>馬場対テーズ戦、猪木対バレンタイン戦。映像の残されていないこの伝説の2試合が、7か月半の間をおいて同じ66年に行われたことの意義は、従来思われているよりはるかに大きいのであります。50年後の今、そのことを改めて認識してこの項を終えます。ではではまた。(了)


以上です。いやあ、おそらくはテレビ中継されたであろう馬場対テーズはともかくとして、猪木対バレンタインの映像が出てくることは今後もないだろうなあと・・・(泣笑)。しかし、映像がないからこそ幻想が膨らむということでもありますよね(^^;)。


ちなみに、45周年となる71年の「猪木、馬場に挑戦表明」についても、僕なりの推論があるのですが・・・これについては、まさにそれが起こった「5月19日」にアップしたいと思います、お楽しみに(^^;)。


乱筆乱文妄想多謝。ではではまた。