「証言UWF 最後の真実」を読む。そしてそこで述べられてる高田最強論?について。

調子に乗って、久々の連投(笑)。

全ては表題の通り。
以下、例によって乱筆乱文ツイート転載ご容赦あれ。


>宝島社刊「証言UWF 最後の真実」読了。https://www.amazon.co.jp/%E8%A8%BC%E8%A8%80UWF-%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%89%8D%E7%94%B0-%E6%97%A5%E6%98%8E/dp/4800271231 選手・関係者17人の証言が微妙に食い違っているところがむしろリアリテイを感じる良書であったが、ワタシにとってはむしろ「スパーリングにおける高田延彦」の強さがあちこちで語られてるのが大きく。


>いや、中野や安生が言ってるだけなら何てことないのですよ。Uインターで上下関係があったんだから、で済むんだけど。しかし船木や鈴木が言ってるとなれば事情が違ってくる。ことに船木が「高田さんは道場に来るたびに鈴木に挑戦されてて、いつも同じ技で返り討ちにしていた」といい


>当の鈴木もまた「高田さんは強かった。とれた(極めた)ことは一度もなく、いつもやられてた」というんだから事実なのだろうと。まあ89年・90年の時点ではそうであったのだろう(ちなみに前田は中野龍雄によれば、力任せで相手をケガさせて藤原さんに怒られてたとか^^;)。


>実際、90年代に入ってからの藤原組長の衰え、91年の前田のケガを考えれば、少なくとも91年か92年までの時点で「U系選手中、高田最強」の時期は確かにあったのだろうと。パンクラス旗揚げからの船木・鈴木の進境を考えた場合、抜かれてた可能性はあるが。「高田最強」の印象が(続)


>今一つ薄いのは89年8月船木相手の幻のKОがあるからだがあれはもちろん打撃で食らった不覚なわけで(苦笑)。グラウンドに関していえば、フィジカルで衰え始めた組長、逆にフィジカルに頼り過ぎる前田をも高田が上回り、船木ら若手をも押さえてた可能性はある・・・そしてまたその高田が


>97年ヒクソン相手に何も出来ずに敗れてしまったのはやはり「Uの終焉」であったのである・・・それにしても第1回ヒクソン戦での高田は何も出来な過ぎた。やはり94〜97年のゴタゴタゴタで練習時間も取れず、体型すら崩れつつあった90年代後半の高田はそれ以前の高田とは違ったの


>だろう。ゴッチさんがヒクソン戦の時の高田を見て「これは私の知るタカダではない」と言ったのは理由(ゆえ)なきことではないんである・・・まあベストでも負けてたとは思うが(苦笑)。その高田を引退試合にてKОし、かつて若手の頃に「勝てる気がしなかった」とまで思った船木をも(続)


>後に下した田村潔司の証言もまた貴重。「証言UWF 最後の真実」は、「1984年のUWF」を読んで抱いたあなたの印象の答え合わせとなり得る一冊なんである・・・皆様ぜひ手にお取りあれ。ではではまた。(この項了)


まあやっぱり宮〇と安〇が悪いんじゃよと(適当過ぎるまとめ・笑)。


ではではではまた。