「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」は正史ではない。

題名の通り。


というか、正史にしてはならない・・・という話です。


こちらとしても、虎の尾を踏むがごとき覚悟で書かねばならない内容なのですが(苦笑)。


以下、例によって駄文ツイート転載。


>本日、伝説の試合「力道山木村政彦」から60周年。https://www.youtube.com/watch?v=h4vXRDAvFVg ←ビデオ9分10秒過ぎからの展開は壮絶極まる。この試合での木村の名誉回復を図った大著・増田俊成木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」がベストセラーになったのは記憶に新しい。(続)


>しかしここで疑問を呈したい。果たして「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」は「正史」なのだろうか?「正史」として良いのだろうか?読めば巻置くあたわざる力作・名著であることは疑いない。しかしこれをもって「正史」とするには…あまりにもずさんで強引な部分が多いんである。(続)


>ここで重要な資料となるのが、平成20年12月発行の「Gスピリッツ」第9号。何とこの号には、同書の重要登場人物であるところの木村政彦の愛弟子・岩釣兼旺氏のインタビューが載っている。同書冒頭で猪木・馬場に挑戦状を叩きつけた人物として描かれる岩釣氏が直接発言した貴重な資料(続)


>であるのに、同書は(後で述べるが、引用できる発表時期であったにも関わらず)完全にこれを無視してしまってるんである・・・まず、岩釣氏が全日本プロレスの事務所に交渉に行った際に同行した人物。同書では「拓大柔道部の先輩三原康次郎」となってるが、Gスピ岩釣インタビューでは全日本(続


>と交渉に行ったのは「ウチ(拓殖大)のOBで佐藤正幸という人」ということになっている。その際だけ同行者が違ったとも考えられるが、岩釣氏は「佐藤さんが『相手は馬場さんしかいない』と言い切ったので喧嘩になった」と証言してるんである。交渉に当たった・喧嘩になった当事者の名前(続)


からして、書物と本人インタビューで異なっている・・・この段階ですでに「『木村政彦はなぜ〜』に書かれてることだけが真実なのか?」とクエスチョンマークが頭に浮かぶのを抑えきれなくなってしまうんである。さらには「なぜ、全日本と交渉しておきながら、最初に挑戦しようとしたのが猪木(続


>だったのか?」という謎。これについては「木村政彦は〜」本編では何も触れてないが、実は同書の漫画版「KIMURA」(画・原田久仁信)では描かれている。岩釣サイドと全日本の最終交渉が行われたのが76年夏。そしてその年の2月にはあの猪木対ルスカが行われてるんである。柔道側に(続)


>とり屈辱以外の何物でもないあの試合の結果に対し、柔道サイドがプロレスに転向しようとしている岩釣氏に対して「向こうに行くなら、猪木に対して挑戦しろ!」と焚きつけたのは想像に難くない。いや想像ではなく「KIMURA」にはあの結果が「特に拓大柔道関係者の心を逆なでしていた」と(続


>明記されてるんである。ではなぜ、「木村政彦はなぜ〜」本編ではこの猪木対ルスカのことが無視されているのか? 理由は一つしか考えられない。著者・増田俊成氏は「岩釣の挑戦はあくまで恩師・木村政彦の復讐のため」ということにしたかったんである。だから猪木対ルスカのことは無視した。(続


>そうとしか考えようがない…しかしそれが「ノンフィクション」の取るべき立場だろうか?自分の論旨のためには、明らかなる事実(ルスカのことがなければ、岩釣が猪木に挑戦する理由などないはず)をあえて無視する。残念ながら「木村政彦はなぜ〜」にはその手のパターンが多すぎるんである。(続


>そもそも岩釣氏のプロレス入りは本当に最初から「恩師・木村政彦の仇討ち」がメインだったのだろうか? これについての解答は、実は「木村政彦はなぜ〜」の中に書かれている。652ページ目の文章「最終的に(岩釣は)プロレス入りしなければならないところまで経済的に追い詰められて(続


>いく」…「経済的に追い詰められて」…? まったく話が違うじゃないか、となってしまうのである。冒頭では「恩師・木村の仇討ち」一色だったのに、全編696ページ(あとがき含む)のうち実に9割以上が経過してからようやく「経済的」事情を持ち出してくるのである。事実だから仕方ない(続)


>ということで、しぶしぶ「一応書きましたよ」という感じで…しかしそれがノンフィクションを謳うものの書き方として正しいのだろうか、と言いたいのだ僕は。そしてプロレス入りに際しての岩釣氏の木村との猛練習についても、Gスピ9号岩釣インタビューでは、本書にない部分が語られている。(続


>岩釣「(木村先生に教わったのは)まず鏡を見ながら自分の顔や身体を観客にどうアピールするかとか、表情をどう作るかとかね」……・ここから見えてくるのは、長期にわたってプロレスラー生活を送るべく、先達木村から教えを乞う岩釣氏の姿である。そしてこういう部分が「木村政彦はなぜ〜」(続


>には全く描かれていないのである。そして何より本書に描かれてない部分。やはりGスピ9号から、いずれも岩釣氏発言。…「プロレスの練習に行ったんですよ」「一回、自分もプロレスの雰囲気を味わいたかったんですよ。それで軽く裸で練習しましたね」「あの時はリングの中でレスリングを(続)


>何本かやりましたね」…岩釣氏が全日本の道場で、同団体のレスラーとスパーリングをやっていたというのだ。しかも実に友好的に。これはやはりGスピのこの前の号(8号)で淵正信が岩釣氏とスパーしたと証言しているのに符合する(淵は岩釣氏を圧倒したとまで言ってるが、これは不明・笑)(続)


>そしてこれらの事実(岩釣氏の表情作りトレ&全日本勢との友好的スパー)が全く「木村政彦はなぜ〜」に描かれてないのはなぜか…くどいようだが、いずれも「岩釣のプロレス参戦はあくまで木村の仇討ちのため」という論旨に都合が悪いからではないのか。「それは岩釣氏のインタビューが本書(続)


>発行後に出たからで、やむを得ないのではないか」と思われる人もいるかもしれない。だが、残念ながらそうではない。この岩釣氏インタビューが載ったGスピ9号が出たのは2008年12月、「木村政彦はなぜ〜」がゴング格闘技に連載されていたのは08年1月〜11年7月である。つまり(続)


>「連載の3分の1も経過してないところで、岩釣氏インタビューは世に出ている」のだ。そして増田氏がこれを知らなかったわけはない。Gスピのこの記事はゴン格での「木村」連載が評判になり始めたことによるアンサーであって、関係者ましてや当の筆者が気にしてないわけはないのだ。いやそもそも(続)


>岩釣氏に直接接し親交を持っていたという増田氏がこれらの事実を知らないわけがないのである。「意図的に」無視したのだ、あくまでも増田氏は・・・。いやもちろん岩釣氏もはっきり「目的は先生の仇を討つことだった」とは証言してますよ、Gスピインタビューでも。しかし一方で「海外サーキットの(続


>予定も組まれていて、自分も行くつもりだった」とも証言していて…。要はやはりプロレス入りの動機は当初はあくまで「経済的」なものだったのだろう。ところが猪木対ルスカの結果に憤る柔道関係者が「プロレス入りするなら猪木に挑戦しろ、それがダメなら馬場だ」と焚きつけてくる。恩師・木村との(続


>練習を積み重ねるうちに、自分もやはり「先生の仇を討ちたい」という思いが募ってくる(そこは疑いない)。それが交渉にも表れて、結局破談に及んだ・・・それが真実ではないのか。しかし増田氏の「岩釣の挑戦はあくまで木村の仇討ち一本のためにしたい」という思いから、都合の悪い事実は(続


>ことごとく排除されてしまった。それが「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」という書物の実体なんである。少なくとも僕にはそう思える。そして、木村の無念を晴らしたい岩釣氏の思いがいかに本物だったかを語りたいあまりに、物語の最後に、本来載せるまじきものを増田氏は載せて(続)


>しまう・・・ラストに書かれた「昭和五十年代に、ある地方都市で、ある胴元のもと開かれていた地下格闘技大会」のことである。そこで「チャンピオンベルトを巻いていたのは、ほかならぬ岩釣」だったと書きながら、そのベルトの写真があるわけでもない。試合の写真も無ければ、第三者の証言も(続


>あるわけではない。何より岩釣氏が「書かないでください」と言っていた(という)そのことを、「闘病日誌にマスダトシナリと書かれその下に私の電話番号が書かれていた」から「書いてもいい、いや書いてくれという遺志だと思った」という無茶苦茶な理由で(と僕には思える)、この大長編(続)


>ノンフィクションのラストに、その裏付けも何もない(だからこそ岩釣氏も「書かないでください」と言ったのだろう…)大会のことを持ってきてしまうのである。筆者・増田氏の情念のほとばしるままに。それでいいのか、本当に良かったのか……「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」は(続)


>面白い。その作者の破天荒なまでの情念ゆえに。それを「事実に基づいたドキュメント小説」とするなら問題ない。しかし「ノンフィクション」としては欠陥が多すぎ、ましてや「正史」とするには危険すぎるのだ。その面白さゆえに。同作の評価が定着した今だからこそ私見を述べる次第である。(了)



そもそも発行から3年も経つのに、こういった系統だった(自分でいうな・苦笑)批判を同書にぶつける向きが皆無と言うのもどうかと思うのですけどね・・・。


それとも、またワタシは書いてはならぬことを書いてしまったのでしょうか(汗・^^;)。
ま、いつものことだ(苦笑)。


ではではまた(抹殺されてなければ・笑)。