白井義男世界王座奪取から65周年の「ボクシングの日」に。力道山・馬場・猪木のプロレストップ3はボクシングにいかに向き合ったか。

すべては表題の通り。
以下、例によって乱筆乱文ツイート転載、ご笑覧あれ。


>本日、65年前に白井義男がアルビン・R・カーン博士の指導のもと日本人初のボクシング世界王座を奪った「ボクシングの日」。湯川秀樹ノーベル物理学賞受賞・古橋広之進の水泳世界記録と並んで、敗戦に打ちひしがれた日本人の誇りを取り戻させた快挙であったわけですが、さて彼らとともに


>日本人戦後復興の象徴となった力道山はどうボクシングと向かい合ったのか?そして力道だけでなく、彼の弟子・馬場&猪木は「世間に、そして世界に認知された格闘技」ボクシングとどう向かい合ったのか、というのが今回のテーマであります、お立合い(笑)。さて、まず力道山でありますが


>彼の全盛期は同時代人・白井義男の世界王座在位とどう重なっているのか、ということですが・・・。まず白井義男の王座在位は1952年5月から54年の11月であります。そして彼の次に世界フライ級王座を奪ったファイティング原田の最初の在位は62年10月から63年1月、次の


>奪取(バンタム級)が65年5月…何かにお気づきですか? そう、白井の王座転落からF原田の王座奪取までは8年間の空白(!)があり、その8年間に力道山の全盛期がスッポリ入るのです!! 白井の王座が54年11月までで、シャープ兄弟との試合による力道の国内デビュー(同年2月)


>はこれに重なりますが、木村政彦撃破による日本制圧が同年12月のことで、この時点で白井は王座転落している。そしてそこからボクシング世界王座8年間の空白・・・つまりは「ボクシング世界王者のいない8年間の間に、力道山はその全盛期を謳歌し、プロレス人気の土台を作り上げた」ので


>あります!! もしボクシング世界王者がこの時期にいて、それが太陽のごときカリスマをもった名王者であったとしたら…果たして力道山はファイティングスポーツの帝王たりえたか、と思ってしまうのですね(^^;)。そしてその力道の全盛期末期(62年10月)にF原田が世界王座奪取


>してるのですが、これもわずか3カ月で転落。バンタム級王座を奪って2階級制覇を成し遂げるのは65年5月のことで、結局63年12月の力道山逝去時にはボクシングの日本人世界王者はゼロのままであったのであります。力道本人もそのことを意識してかリキボクシングジムを創設し、かの


エディ・タウンゼントトレーナーを招へいするなどしてボクシング進出を図っていたわけですが(それが業界のためになったかどうかはともかくとして・苦笑)、彼の死でそれも夢と帰してしまったわけであります・・・。さて、力道山が日本人ボクシング王者の不在時にファイテイングスポーツの


>王者として君臨しプロレスの基礎固めをしたとすれば、彼の後継者であったジャイアント馬場はどうであったか? まず日本人ボクサーにとって夢のまた夢であった(そして今でも夢かもしれない)全米で一時的にでもスーパースターとなる夢を彼はそのキャリア初期にしてすでにかなえているわけで


>このあたりのことはかの柳澤健著「1964年のジャイアント馬場」に詳しい・笑)。さらに何より馬場の全盛時にはすでに続々と現れていた日本人世界王者がいずれも70キロ未満の軽量級であったこと・・・日本人の巨漢コンプレックスを209センチ・145キロ(全盛時公称)の馬場は


>払拭し得る存在であったというのは大きい。ゆえに歴代ボクシング王者に負けないスターとして馬場は君臨し得た・・・ならば、彼のライバルであったアントニオ猪木は?といえば、むろん日本人ボクシング王座たちに比べれば格段に巨躯の猪木ではありますが、日本人の巨漢コンプレックスを


>克服し得るほどではもちろんない。ボクシングに対抗するために、そしてそれ以上に永遠のライバルである馬場に打ち勝つために猪木は異種格闘技路線に踏み込まざるを得なかった。そしてその初期の段階でボクシング界の巨大なる象徴であるモハメッド・アリと戦わざるを得なかった。そしてそれは


>アリ戦の後、その内容はともかくとしてその実現を誇るがゆえにアリのテーマ曲「アリ・ボンバイエ」を譲り受ける形で「炎のファイター(イノキ・ボンバイエ)」として入場曲に使っていくことに・・・猪木にとってそれほどまでにアリの存在は大きかった。ひいてはボクシングそのものへの


>対抗意識はそれほどまでに大きかった。それは世間と、そして世界と戦っていくことだったから・・・。さて、今のプロレスラー達はどうなのか。ボクシングを、世間を、世界をそれほどまでに意識しているのかどうか。会場内では復活しているかのように見えるプロレス界ですが、世間に、世界に


>対抗せずに良いのか。もちろん異種格闘技戦を復活させろなどという気は毛頭ありませんが(苦笑)。世間にとって依然格闘スポーツの代表であるボクシングへの対抗意識を先人が持ち続けたことを、振り返ってみることもまた決して意味のないことではないのでは、と思ったりするのです。(了)



ご高覧ありがとうございました。
しかしまあ「89年(平成元年)にはボクシング日本人世界王者は1人もいなかった」のもまた事実。そこから28年の歳月を経て、現在女子含め15人(!)の世界王者を持つに至るまで復興した日本ボクシング界には改めて畏敬の念をもつのであります。
ちなみにWBC世界女子ミニフライ級王者(現在5度防衛)の黒木優子選手はかなり可愛いですね(笑)。https://www.youtube.com/watch?v=GJuCS76Q9ag https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%9C%A8%E5%84%AA%E5%AD%90
RENAとエキシビションやってくれんかな(^^)。
ではではまた。