ビル・ロビンソンの全日転出に、猪木は果たして怒ったか?〜もしくは、「新日本常連レスラー、ビル・ロビンソン」への妄想(笑)。

まあ題名の通りであります(笑)。


以下、例によって駄文ツイート転載。


ベーマガ社の「日本プロレス事件史 vol.9 ザ・抗争」(http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%B9%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E5%8F%B2-vol-9-%E3%82%B6%E3%83%BB%E6%8A%97%E4%BA%89-MOOK-%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB/dp/4583622856)で、流智美さんがゴッチとロビンソンの68年から76年までの日本マットがらみでの交流と別離について語っておられて。この中で流さんは75年の対猪木戦の後、引き続いての新日本参戦を(続


>(続)考えていたロビンソンが、翌年からのギャラダウン(新日本側の猪木対アリ実現のため)をゴッチを媒介に通達され、憮然としてるところにドリーから高額での全日本移籍を提示されてそちらに乗った、という意味のことを書いておられて。この件について流さんは「猪木にとっては『あ、そう?(続)


>(続)むこうへ行ったの?仕方がないな』程度の関心だったと思われる(アリ戦の騒ぎがひと息ついた頃には、後悔の念が大きくなったかもしれないが)」と書いておられます。・・・さてアリ戦の後で、ロビンソン移籍への猪木の後悔は大きくなってたのか?これについては僕は「大きくなってた、そして(続


>(続)怒ってた」と断言いたします(笑)。なぜか? かの村松友視「私、プロレスの味方です」の続編「当然、プロレスの味方です」の巻末付録、村松氏と猪木さんとの対談「燃える哲学」において、猪木さんがこんなコメントをしているからです。……「ビル・ロビンソンも日常の計算高さというのが出て(続)


>しまうのね、目先の計算しかしない選手という面が。ロビンソンなんてのは、ほんとに今のことだけしか計算できない選手です。だから、それがリングにも現れてるんじゃないんですか。てめぇのいいとこだけを一所懸命売ることばっかり考えた選手です」……どうです、ひどいでしょう?(苦笑^^;)(続)


>(続)この対談は80年9月、猪木がハンセンとの逆ラリアートの名勝負を演ずる直前に行われたものです。ロビンソンが全日移籍を果たしてからすでに4年、その結果(つまりロビンソンは決して厚遇されなかった)がはっきり出てるにも関わらず、この辛辣なコメント。ロビンソンの移籍に猪木さんが(続)


>(続)いかにいらだち、怒っていたかというのがよくわかるわけです。それはあくまでアリ戦の後で、でしょうが・・・要はアリ戦がああいう結果に終わって、猪木さん・新日本も多大な負債を抱えた。これを何とか盛り返さなければならない、という時に肝心のライバルがいないわけです。狂虎シンとは(続)


>(続)ロビンソン戦の前に決着つけてしまったし(タイトル奪わせておいて奪回、試合後ご丁寧にクリーンな握手まで・苦笑)これを盛り返すのはかなり難しい…スタン・ハンセンの台頭にはまだまだ時間があり、猪木さんとしては異種格闘技戦の切り売りでその苦境をしのぐしかなかった。これもすべて(続)


>(続)ロビンソンの野郎、あいつが全日本行ったからだ!! せっかく60分フルタイム、しかも最初に一本取らせて最後の残り30秒で取り返すような接戦やって、翌年に含み残してやってたのに!! すべてあいつが悪い!!・・・・・・・でもまあ、猪木さんがアリやルスカの方ばっか向いていて(続)


>(続)ロビンソンの方向いてなかったからこうなったわけでねえ。なんとのう、付き合い始めてこれからという時にほかの魅力的な女に色目を向けてしまったためフラれ、後から文句言ってる男のようにも思えなくもない(苦笑)。・・・・・・さて、ロビンソンが新日本残留したとして、それはうまく(続)


>(続)いったのか? こればっかりは分からない。ロビンソンも全盛期過ぎてたし(最初に挙げた「日本プロレス事件史・9」で流智美さんは68年のゴッチのコメント「世界最強は(自分を除けば)ロビンソンだ」を紹介してますが、これは事実だったろうと思います。ただこれはあくまで68年の段階(続)


>(続)で、7年後の猪木戦の時にはかなり落ちていたろうと・・・それをわざわざ持ち上げてライバルに持ってこようとしてた猪木さんの怒りもまあ分からなくはない・苦笑)新日本に残ったからといってどこまで出来たのか・・・しかしまあそれは猪木さんとのシングルだけを考えた場合。たとえば再戦で(続


>(続)さらなる名勝負を演じた後、3戦目あたりでとシン&上田が乱入、最高の決着戦をぶち壊された猪木&ロビンソンが怒りとともにタッグ結成!!!……「猪木&ロビンソン」組ですよ!!!どう考えても長続きしないとはいえ(苦笑)一度は見てみたかったと思うオールドファンも多いのではと(笑)。(続


>続)古館アナの時代まで持てば、「現代の日英同盟!!」なんてフレーズも飛び出すだろうし(笑)。さらにはロビンソン対バックランドなんて激シブ通好みの正統派対決だってあり得るし、何より猪木に触発されてロビンソンも格闘技戦出陣!なんてのも(笑)。いや大凡戦やらかす可能性もありますがw(続


>(続)しかし何より「キャッチアズキャッチキャンの正統的後継ロビンソンが現代の打撃選手と異種格闘技戦!!」なんてロマンあふれる試合も考えられたわけですよ。ガチかどうかはともかくとして(苦笑)。そうこうしてるうちにハンセン&ホーガンが台頭し・・・おお、ローラン・ボックとの劇的邂逅(続


>(続)なんてのも考えられるじゃありませんか!! ことほどさようにロビンソンの新日本残留はストロングスタイルのファンの心をかきたてるものであるわけですよ(少なくとも机上ではw)。そうしておれば、前述の村松対談での猪木さんのロビンソンへの罵声もなかったと・・・しかし実は村松対談の(続


>(続)10年後、90年横浜アリーナで行われた猪木さんデビュー30周年のセレモニーにはいわゆる「グレーテスト18クラブ」のメンバーとしてロビンソンはしっかり来場、猪木さんとしっかり笑顔で再会してるのでありましてwww(何ていい加減な猪木さんwwwまあらしいっちゃあらしいですが)(続


>(続)そしてその会場にはテーズ&ロビンソンはいても、あれほど蜜月だったゴッチさんの姿はなく…(グレーテスト18クラブには名前有り。しかし新日本が勝手に登録してた可能性も・苦笑)。歳月という魔術師の気まぐれさよ!…と最後は週刊ファイト井上義啓編集長風に締めるのでした(^^;



まあ以上のような妄想を思い浮かべながら、この名勝負を改めて噛みしめるのも初夏の終わりにふさわしいかもしれません、ハイ(^^)。

https://www.youtube.com/watch?v=n1oT-YtmHdI


ちなみに今年12月12日で猪木対ロビンソン40周年。
その組み合わせがたった1試合を表して、他に該当すべき「第2戦以降」を持たなかったことは不幸なのか、はたまた幸福であったのか。


ではではまた。