ふるきち、グレート・ガマ対ズビスコの謎を解く。

何と1年半ぶりの更新である(苦笑)。


今回のテーマはプロレス史において90年にわたって謎とされるグレート・ガマ対スタニスラフ・ズビスコである。以下、例によって某所での駄文ツイート転載よろしく。


(参考)
伝説の「ズビスコ対グレート・ガマ」戦
http://www4.point.ne.jp/~kirisame/battle/zubisuko/4aria.html


>90年前(1928年。26年説も)の今月末、インドの強豪グレート・ガマが古豪スタニスラフ・ズビスコを破る。30秒とも4秒ともいわれる短時間決着で伝説的な試合に。ズビスコエド・ルイスやジョー・ステッカーと並ぶ名レスラーであっただけに、未だに謎とされるが、二人の年齢差を考えると(続


>(続)少し謎が解けてくる。ズビスコは1876年生まれ、ガマは86年生まれで10歳差。猪木と藤波、藤波と蝶野の年齢差である。そして二人は実は1910年にロンドンで対戦しており、その時は2時間40分の激闘の末ドローに。ガマにとってはズビスコとの決着はまさに18年越しのテーマだった(続


>(続)のだ。初対戦時に24歳だったガマは42歳の円熟した選手となり、自分の唯一の忘れ物であったズビスコとの再戦をついに地元インドで成し遂げる。52歳のズビスコはその執念に呆れ返りながら、「まあいいか」と地元での勝利をガマに贈る・・・そんなところではなかったか。まさかズビスコも(続


>(続)自分の敗北が数十年後も語り継がれるような伝説となるとは思っていない(苦笑)。かくてガマとズビスコが生み出したインドレスリングの幻想は、力道山に強豪ダラ・シンを招聘させ、漫画「タイガーマスク」で老雄ミスター・クエスチョンを生み出し、そしてТ・J・シンに巨万の富を与えるのであった^^;…(了


こんなオチでいいのか(苦笑)。


ちなみに「タイガーマスク」でタイガーにクエスチョン戦勝利のチャンスを与えたのが「石頭」大木金太郎
74年の猪木対大木でプロレスファンになったワタシにとっては、ミスター・クエスチョンもまた思い出深い存在ですなあ・・・そしてそのモデルになったグレート・ガマにもある種の縁を感じるのであります。


ではではまた(いつになるやら^^;;;)。