Gスピリッツ第9号の那嵯涼介氏の寄稿が相変わらず素晴らしい。

Gスピリッツ第9号の「Uの源流を探る〜カール・ゴッチとキャッチ・アズ・キャッチ・キャン」の素晴らしさは前回に続いてやはり筆舌に尽くしがたいものがありますな(感嘆)。


「危険で野蛮なレスリング」「JU−JUTSUは果たして敵なのか?」「ゴッチが勝てなかった男」「『イスタス』から『ゴッチ』」へ」「カール・ゴッチが出会ったアメリカン・キャッチの偉人たち」「史上最強の三大フッカー」の各項目において書かれるキャッチ・レスリングへの造詣の深さは他に類を見ないものがあります。


特に僕が興味を抱いたのは谷幸雄のくだり。20世紀の初頭において、当時のプロレス界を席捲した名柔術家であったわけですが、この谷の掲載写真の中に何と谷がアキレス腱固めを極めている写真がある!!
これが注目すべきなのはなぜかというと、同時期にロシアに渡った広瀬武夫日露戦争旅順攻防戦で戦死した「軍神」ですね)が柔道をかの地で広めたのがサンボの起源、という説があって、これについて喧々囂々の議論が(一部で・笑)なされていたりするあけですが、谷や広瀬の世代の柔道(柔術)にアキレス腱固めの技術があるとなると、これは「柔道・柔術がサンボの起源」という説のかなり有効な根拠になるのですよ!!
那嵯氏やそれに匹敵する造詣の深い方々によってこの辺の検証がなされればかなり面白いのではないかなあと思ったりするのですが。


また、テーズ対ゴッチのもっとも壮絶な試合(ゴッチがテーズのバックドロップを潰してあばら三本折る重傷を負わせ、そのテーズがエプロンにいるゴッチにドロップキックを浴びせて転落KOしたという試合)についても那嵯涼介氏は詳細に論考を加えているのですが、これについては僕はある勝手な私見をもっておりまして。
これは22年早かった藤波対前田ではなかったかと思うのですね。
本来はバックドロップでフイニッシュを迎えるべきだったこの試合、ゴッチが「このまま終わらせたくない!」とばかりにこれを潰したためにテーズが負傷、試合続行不可能と判断した両者がすかさず「場外戦→エプロンでのドロップキック転落KO」という道を選んだのではないか・・・。そもそもシュートマッチに「エプロンでのドロップキック転落KO」などという結末が生じようもないのではないか・・・。
まあこれはあくまで実証主義をとる那嵯氏に怒られてしまうかもしれませんが(^^;)。
しかしある意味80年代最先端であったあの藤波対前田と同じケースがすでに20年以上前のテーズ対ゴッチによってなされていたならば、これはやはり凄いことだと思うのですね。
まあうがった見方の好きな半可通のたわごとと聞き流していただければ幸いです、ハイ(^^;)。


ラストのゴッチさんとロビンソンさんの電話でのエピソードは泣けます。
二人が2002年の時点で和解していたことは両者のフアンとしてまことに喜ばしい。
最後の一文もまことに同感です。
皆様、こぞって読まれることをオススメいたします。
ではでは。