アントニオ猪木は木村政彦の孫弟子である。

なかなかに刺激的な題名だが、事実だからしょうがないのであります(苦笑)。
以下、ツイッターに書いたものをそのまま転載。


>我ながらなかなかに刺激的なことを書く。「アントニオ猪木木村政彦の孫弟子である」…いや別にふざけてるわけでも比喩的な意味合いでもなく単純な事実だから仕方ない(苦笑)。力道山&木村対シャープ兄弟から60周年を機に名著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読み直していたら


>興味深い個所が。木村の敗北直後を描いた同書566ページ「ドアの外にいた木村門下の大坪清隆は日刊スポーツの記者に泣きながら(略)」…はて「大坪清隆」?どこかで聞いたことが、と資料を漁ってみましたらありました。辰巳出版のGスピリッツムック本「アントニオ猪木」で櫻井康雄氏が


>猪木の若手時代を語っている部分。「アマレスのテクニックは吉原(功)が教えて、関節技は大坪(清隆)が教えてましたよ」。…木村政彦の弟子が猪木の関節技のコーチ!!これは興奮すべき事実ではござんせんか! しかも櫻井氏の証言によれば「柔道で言う裸絞め、三角絞め、逆腕固めとか


>そういう技は全部大坪が教えて。足関節なら足首固め、ヒザ固めとか」…三角絞めを若手時代の猪木が!!木村政彦が身につけていた高専柔道のエッセンスを大坪氏が猪木に教えていたことに!! これは凄い事実ですよ、ホントに。「大坪がコーチしていたのは日プロの若手全体だから、猪木だけ


>を取りあげるのは当を得ていない」というのであれば、この事実はどうか。木村政彦が1952年、ブラジルサンパウロエリオ・グレイシーを腕がらみで破ったのは格闘技ファンなら周知の事実ですが、その24年後パキスタンで猪木がアクラム・ペールワンセメントマッチを行わねばならなく


>なった時、猪木がアクラムを破った技は何だったか…明らかに腕がらみ(キムラロック)!! 「木村政彦がエリオを破った腕がらみは、24年後孫弟子である猪木の窮地をも救った」…これは歴然たる事実なのです。そして「海外において、相手民族の名誉をかけて挑んできた相手の腕をへし折って


>倒した」…こんな選手は木村政彦アントニオ猪木以外に僕は寡聞にして知らない。猪木を木村政彦の純然たる孫弟子というゆえんであります。そしてその木村と猪木の仲介役をした大坪清隆という人物はもっと知られ、そして掘り下げられてしかるべきだと思えます。さらに大坪氏について衝撃的な


>事実。「大坪清隆は日プロにおけるカール・ゴッチ道場の師範代であった」…これも凄いですね!! Gスピリッツ16号におけるゴッチ道場特集において、「メインコーチはもちろんゴッチ、サブコーチは大坪清隆が務めた」と明記されているのです。また同特集において「技術について意見が


>ぶつかるような場面も多々あったようで、頑固者で知られる両者は一歩も譲らなかった」とも。木村門下の名に懸けて、西洋キャッチレスリングの体現者ゴッチ相手でも言うべきことは言うという大坪氏の硬骨ぶりが目に見えるようではありませんか(笑)。そして何より「カール・ゴッチ木村政彦


>は実は会っている」という凄い事実!! 69年4月にゴッチ道場が閉鎖されて、ゴッチが日本を離れる際、大坪氏らの計らいで当時拓殖大学柔道部の指導をしていた木村政彦とゴッチが対面「親しく言葉を交わした」のであるというのです(前述のGスピ16号)。この対談の内容が今に伝わって


>ないのが実に残念(泣笑)。木村政彦アントニオ猪木・そしてカール・ゴッチ・・・これらのそうそうたる面々が「大坪清隆」という人物を介してつながっていたというのが実に感嘆させられる。そしてこの大坪氏、実は「溺れた少女を救出し、


>その際心臓麻痺で帰らぬ人になった」(http://www.showapuroresu.com/jap/o.htm )のだという…何ともいたましいことですが、しかしそういう人物が木村・猪木・ゴッチの仲立ちになったのだとしたらこれもまた心洗われるような気がします。ちなみに大坪氏は「大坪飛車角」というリング


>ネームだったこともあるとのこと。将棋も有段者であったからというのですが、「レスリングはチェスのようなものだ」といったゴッチさんの言葉も思い合わせて、達人は符合するものだなあと改めて思うのであります(笑)。雑感長々と失礼いたしました(^^)。




英雄たちの仲立ちを務め、そして自らは表舞台に上がることなく世を終えた清廉にして硬骨の人物「大坪清隆」氏に感謝。そしてこの一稿を捧げます。


ではではまた。