1964年5月2日のテーズ対ゴッチは、20年以上早かった藤波対前田だった。

先日、今から50年前にルー・テーズカール・ゴッチという二人の強豪が、おそらくその生涯において最も壮絶な一戦を戦ったことに気付いた。そしてその試合が我々の知るある試合に酷似していることも。
以下、例によって駄文ツイート再掲。


>すでに5月も半ばを過ぎたが、50年前の1964年5月2日に、この二人の伝説的名レスラーの戦いが行われていたことをどのくらいの人が記憶し、意識していただろうか?ルー・テーズカール・ゴッチ……数回行われた両者の対戦の中でも最も(続く) http://p.twipple.jp/sVtnG 


>壮絶だったとされるこの一戦(前ツイートの写真はGスピリッツ9号から)、今回はこれについて考察してみたいと思う。64年5月2日デトロイトで行われたこの一戦、それまでテーズの2勝3引き分けできていたこのカードだったが、この時の一戦が特異だったのは、テーズがバックドロップに(続)


>いったその瞬間、ゴッチが体をひねってテーズのバックドロップを潰し、アバラ三本折ってしまうという重傷を負わせてしまったのである!! なぜゴッチがこのような「暴挙」に出てしまったのかは未だに謎である。これについて「勝利への誘惑にかられたゴッチがセメントをしかけたのだ」とする(続)


>人もいる。しかし僕はその説を取らない。ゴッチが「取り決めを踏みにじっての勝利」を意図していなかったことはこの後の展開で明白だ。この後、「アバラ三本折った重症のテーズが」「ゴッチを強引に場外に落とし」「エプロンに上がってきたところにドロップキックを決め」「転落したゴッチが(続)


>机に頭を強打し失神、リングアウト負けを喫する」のである。セメントでそんな展開が考えられるだろうか?…おそらくはそこでまだ試合を終わらせたくなかったゴッチがアドリブで体をひねり、予想してなかったテーズを負傷させてしまったのである。そしてあわてた両者がとっさの判断で選んだ(続)


>窮余の結末が「リングアウト勝ち(負け)」だったのだ。その後テーズが試合を続けられる状態で無かった以上(あるいは三本勝負の一本目だったのか?ならばテーズはなおさら続行不可能だったはず)その選択はやむを得ないものだったろう……さて、四半世紀以上のキャリアを持つファンなら(続)


>この展開は我々が知るある試合に酷似していることに気が付かないだろうか? そう、まさに86年6月12日大坂で行われた藤波対前田の展開によく似ているのである! あの時前田の大回転ニールキックが藤波のこめかみにヒットしてしまい、正真正銘の大流血に及んだ。とてもそれ以上続けられない(続


>それゆえ二人が選んだ結末は「レッグラリアットとニールキックの相討ちで両者KO」であった…おそらくは引き分けの星勘定は決まっておりそれも多分「30分時間切れ」だったろう(IWGPのリーグ公式戦だったため)。しかし20分過ぎた段階での藤波負傷により、それ以上の続行は不可能(続)


>だったのだ。「リングアウト決着」と「両者KO」の違いこそあれ、何と類似した展開であろう……ズバリ「1964年5月2日のテーズ対ゴッチは、20年以上早かった藤波対前田だった」のだ。そしてこの2試合の壮絶な展開・決着はプロレスと言う格闘芸術が一つ間違えば大きなアクシデントに(続


>なりえることを示しているのである・・・僕の推察が正しいかどうかは分からない。しかし真相がどうあれ、プロレスというジャンルの特異性・難解さ・そして崇高さをいささかも減じるものではないと信じる。テーズ・ゴッチはすでにこの世を去り、前田も現役を退き、藤波もその息子LEONAに(続


>その代を譲ろうとしている。すべては強者どもの夢のあと…しかし戦いの伝説は、それを語り継ぐ者・受け継ぐ者によって永遠の命を与えられていくのだ。 「歌は終わった。しかしメロディーは まだ鳴り響いている」. (『羊をめぐる冒険村上春樹)…新たな歌を歌い出す者が現れることを祈る。



ではではまた。