「1984年のUWF」フロント偏重視点への疑問。

どうも、すっかり柳澤健1984年のUWF」への批判急先鋒みたいな立場になってしまったふるきちです(苦笑)。


まあ批判だけじゃなくって、一番しっかり向き合ってるとの自負もありますがね(笑)。
あたかもアントニオ猪木に対する前田日明のようなw(←明らかに言いすぎ・^^;)


今回は第23回「崩壊」。
例によって駄文ツイート転載、以下乱筆乱文お許しあれ。


>「1984年のUWF」第23回「崩壊」を読む。うーん、何というか…やはり違和感を持ってしまうのが、《ここまでUに所属していた選手には一切インタビューしていない柳澤氏が、Uのフロント部には積極的にインタビューしている》んである。U所属選手にインタビューしないという方針は本当に


>徹底していて、あれほどプッシュしている佐山でさえ過去の発言しか引用してないんである。それはそれで客観性を保つという意味では有効であろう(とても客観的な論旨になっているとは思い難いのだが・苦笑)。しかしフロント畑にいた人間に対してはドンドン現在進行形の言葉を引用


>してしまうので、どうしても「フロントサイド>選手サイド」の印象を与えてしまうのである。そしてそのフロントサイドからの一方的情報を丸のみしてしまうと、「前田日明の疑心暗鬼がU崩壊の要因」となるのではあるが、その疑心暗鬼も冷静に考えれば「無理もない」と思えてしまうんである。



>まず、これは本文でも書かれているが「前田はUのわずかな株しか渡されていなかった」ということ。選手とフロントをきっちり分けるというおそらくは新日本とアントンハイセルの悪しき前例を反面教師とした前田の判断によるものだったろうが、フロントの経理事情が不安になった時「自分には


>株を背景にした発言力がない」ということを前田が不安に思うのはむしろ当然ではないのか。そしてそれを防ぐには、選手代表格として前田に会社株の3分の1から4分の1くらいは渡すべきではなかったか(あくまでも素人考えだけど・苦笑)。そして前田の帳簿公開要求には一切応じず


>「前田に冷静になってもらうため」5か月間の出場停止処分を言い渡すんである。果たしてそれは「正当」なのか? 読者は柳澤氏の文章によって「なるほどフロントの言い分はもっともだ、前田が悪い」となってしまうかもしれない。しかし表面に出ている事実は「前田にわずかな株しか渡さず」


>「前田の帳簿公開要求は(結果的に)拒否し」「(冷静になってもらうために?)5か月の出場停止処分を課した」のである。おそらく神&鈴木には思われてるほどの不正はなかったのだろう。しかしそれにしたって、これがはたして適切な処置だったのか? もっと良い手段があったのではないか?


>柳澤氏はそういう「検証」をせずに、ただひたすらフロント畑の人間の言い分だけを垂れ流すんである。まさにジェラルド・ゴルドーの時と同じように。それが本当に正しい書きようなのか、と僕は言いたいのだ。さらにはここでは神新二氏の「その後」については一切書かれていない。あたかも


>「清廉なるがために業界から身を引き、沈黙を保ってるのだ」と言いたげに。しかし「神新二 アゴラシステム」で検索してみれば、神氏の「その後」が相当あやしいものであることが分かってしまう(苦笑)。そういう都合の悪いものは排除して書かない、というやり方は、「ジェラルド・ゴルドー


中井祐樹氏の目をくりぬいた」ことには触れない、のとこれまた同じなんである。そして今回の骨法・堀辺正史氏についても・・・。堀辺骨法をあたかも実戦的格闘技の代表のごとく書いてしまう今回だが、堀辺氏の経歴が相当に怪しいことは、氏の著作を検証してみればいくらでも分かること


>なのだが、そういうことには無論触れない。そもそも「掌打」を「掌底」と混同してることでも骨法に対する基本知識がなってないとしか思えない。骨法の掌打はこれ⇒http://www.nicovideo.jp/watch/1401856988 https://www.nicovideo.jp/watch/1401856988 空手における掌底はこれ⇒https://www.youtube.com/watch?v=ykKHaLfrkyw


>おそらく柳澤氏は骨法がリアルタイムで話題になってた時のことは知らないのだろう。いや、それだけでなく後追いで知識を得たがためにきわめて一方的な認識になってしまってるところが、柳澤氏の文章にはありはしないかと思ってしまうのである・・・今回のラストで、神新二の思念として


>(この神新二の思念も、本人が直接語ったことでなく又聞きもしくは柳澤氏の想像であるところも何ともはやなのだが・苦笑)こう語らせている。「UWFは、選手、フロント、ファンすべての人間の心の中に存在する。自分たちにとっての真実が、選手から見ればそうでないこともあるだろう」


>その言葉は、そのまま柳澤氏自身に返ってきはしないかと思ってしまうんである(苦笑)。そしてその言葉は、「1984年のUWF」を読む読者も心しておくべきであろう。「柳澤氏にとっての真実が、我々から見ればそうでないこともあるだろう」・・・自戒をも込めて。ではでは。(この稿了)



次回はもちろん「U解散」が描かれるのでしょうな。
さてどう描かれるか・・・期待と不安、二つ我にあり(笑)。


ではではではまた。