「1984年のUWF」の終わり方。
ひょっとして柳澤健さんの著作について書くのはこれが最後になるのかなあと思いながら(苦笑)。
例によって駄文ツイート転載です。最後の方は妄想含み(^^;)。
>Number連載・柳澤健「1984年のUWF」最終回「PRIDE」を読む。うーん、何というか・・・あまりにも一方的・一面的であると思うのですよ、書きようが。高田がヒクソンと対戦したのは「プロレスを代表して戦った勇者」だったからだろうか? ハッキリ言ってしまえば、経営難で
>やむなく提携した新日本からも切り捨てられ、借金を返すためにやむなくヒクソンとの対戦に乗り出さざるを得なかったというのが実際ではなかったか。ローソンで速報ビデオまで売り出すほどのプロモーションはそのためになされていたのであって。そしてそのPRIDE1の成功で「格闘技は
>金になる」と見込んで群がってきた闇勢力の方々によって、PRIDEの資金力は支えられていたのであり、またそれゆえに06年フジテレビにコンプライアンス的な不安から一方的に提携打ち切られたのでもあって(今や民放最低ランクの視聴率となったフジが寄り添ってライジンが大晦日中継再開
>させたのも何ともはやなのだけど・苦笑)そういったいきさつも全く無視して、いたずらに高田を「プロレスを代表して戦った勇者」としてしまうのもどうかと思うのですよ(まあ闇勢力云々を書き出したら、03年の森下社長怪死事件などにも触れざるを得なくなって、とても「Number」に
>載せられる内容でなくなってしまうのだけど・苦笑)。思えば「1984年のUWF」には、中井祐樹とヒクソンが戦ったVTJ95には前田リングスも山本宜久を送り込んでヒクソンと戦わせたこと(まあロープつかみしまくった末に惨敗したわけだが・苦笑)も、桜庭とホイスが戦った2000年に
>はリングスKOKトーナメントにおいて田村潔司がヘンゾを破っていることも触れられていない。田村がその際「UWFのテーマ」をかけながら入場し、まさにUを背負って戦ったことなどは、UWFに関して語る連載ならば当然触れられるべきエピソードではなかったか? そういうものに全く
>触れずに、ただひたすら「佐山理論をパクって甘い汁を吸い続けしまいにはフロントに言いがかりをつけて追い出した前田は真剣勝負に関しては何も動こうとしなかった。それに比してヒクソンと自ら戦った高田は真の勇者」と言い立てるのはあまりにも一方的だと思うのですよ。その実、修斗を
>離れた佐山がプロレス復帰して20年以上になることや、高田対ヒクソンを契機に作られたPRIDEがその後どういう経緯を経て崩壊したかについては何も触れられなかったわけで・・・要はあまりにもいびつに終わってしまったなあという感じなのですよ、実際のところ。最終回で「もともと
>前田日明ファン・リングスファンだったけど、高田対ヒクソンで考えが変わった。リアルファイトに乗り出した高田こそがUWF」とのたまうのは堀江ガンツ氏だけど、そのガンツ氏がいた紙プロは高田対ヒクソン以後も前田リングスをプッシュし続け、PRIDEがリングスの選手を引き抜き
>まくって業界を制し始めてからようやく手の平返し始めたんじゃないのかねと(苦笑)。それやこれやのいきさつを覚えてる人間からすれば、どうにも首をひねってしまう連載だったのですよ、「1984年のUWF」は・・・。最後に、個人的には「1984年のUWF」のラストシーンは
>このお二人のスパーリングシーンであってほしかったなあと…http://paraestra-ikebukuro.com/tag/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%96%9C%E6%98%8E 「俺の技術なんてもう古臭いもんじゃないのかい」「その古臭いものからもう一度何かを学び取りたいんですよ…関節技は柔術だけのものじゃない。昔あこがれた藤原さんの技術から
>学び損ねた何かを、もう一度学び直したい。そういう時期に今また来てると思うんですよ」「…難しいことは分かんねえけどさ」そういうと、関節技の鬼はあの1984年の夏にUWFに参加した時と同じ笑顔を浮かべてこういったのであった。「…スパーリングすっか」 「1984年のUWF」完
>あの連載はそんな風に終わるべきだったのだ、と僕は勝手に思うのでした。妄言多謝。
・・・まさに妄言多謝多謝でした(^^;;;)。ではではまた。