69年のA猪木・74年のG馬場、二人の「12・2」。

これを読んでおられる皆様にとって、「12・2」はどちらの意味合いなのでしょうか?
例によって、駄文ツイート転載。


>本日12月2日と言えば、熱烈なアントニオ猪木ファンであれば、69年の対ドリーファンクジュニア60分ノーフォールマッチの日であると思い出せると思います。http://www.youtube.com/watch?v=Zqd5sbkSMiY なぜこの試合が人々の間で伝説的に語り伝えられてるかと言えば、何とこの試合(続)


>NETが1試合のみでこの年の大晦日に紅白にぶつけた(!)からであります。(ブログ注・http://www.plus-blog.sportsnavi.com/cement001/article/3) 30年以上先駆けた大晦日地上波放送だったわけでありますね(^^)。そしてまた、マンガ「タイガーマスク」の最後の試合でタイガーがドリーにコブラツイストを仕掛ける(ドリーのレフリー暴行で反則勝ち・続


>王座奪取はならず)シーンはまさに、この猪木対ドリーからパクったものであって。「タイガー」のクライマックスで使われたのも、いかにこの試合が当時人々の印象に残ったかであります。・・・しかし「12月2日」は猪木ファンでなく、馬場ファンなら別の日として覚えているはず。この猪木対(続)


>ドリーの5年後、74年の同じ「12月2日」に何とジャイアント馬場がジャック・ブリスコからNWA王座を奪取してるんであります! さてこれ偶然なんですかね? 通常「必死に挑発する猪木を、柳に風と泰然と受け流していた馬場」という感じで印象付けられてる両雄ですが、はたして(続)


>馬場は「泰然」であったのか? 僕はむしろ馬場の猪木に対する強烈な嫉妬心をここに見るんであります。思えば69年の猪木対ドリーの翌日にも馬場がドリーに挑戦してて1対1時間切れの好勝負をしてるのに、そっちは全く話題にならず、猪木対ドリーはNETによって大晦日中継される特別待遇(続)


>だったわけですよ。その猪木が自分に挑戦表明して、さらにクーデター事件で日プロ首脳部と対立、新日プロとして独立する。そして自分が全日プロ立ち上げてからもなお挑戦・挑発してくる。さらには74年には小林戦・大木戦と日本人対決を連発して「挑戦を受けない馬場は臆病者だ」と(続)


>ふれまくる。そりゃあもうムカつきますよ(苦笑)。さらにはタイガージェットシンなどというどこの馬の骨か分からんようなレスラーを悪役に仕立て上げて腕折りマッチとかで人気博しまくる。こっちは海外のスター選手を呼びまくってるのになぜあっちばかりが目立つんだ。許せん。奴の絶対(続)


>出来ないNWA世界戦で差をつけてやる。完全なる王座奪取で、それも奴がやたら持ち上げられたドリー戦と同じ「12月2日」で!! たとえ1週間で王座返さざるをえないのであっても、奴が絶対出来ないことで差をつけてやるよ!!・・・そういう馬場の意地が、「日本人初のNWA世界王者(続)


ジャイアント馬場」を生んだわけでありますわね。http://www.youtube.com/watch?v=eW1ExC6ro6M そして「12月2日」を意識するあまりに、会場が鹿児島県立体育館になってしまった(鹿児島の方、スミマセン・^^;)というのはうがちすぎでありましょうか?「1969年のアントニオ猪木」(続)


>「1974年のジャイアント馬場」この二人の意地が交錯したのがまさに「12月2日」という日付であった。そしてその二人の意地がさらになお四半世紀25年の間、猪木の引退・馬場の死に至るまでマット界を揺さぶり続けた・・・歴史のロマンに改めて思いを馳せたいと思います、ハイ(^^)(了)



ではではまた。