分水嶺としての「1984年」そしてその向こう側にあった79・8・26プロレス夢のオールスター戦。

本日、かの8・26プロレス夢のオールスター戦から35周年です。
これに絡めた駄文ツイート例によってまとめ。



>本日、かの8・26プロレス夢のオールスター戦から35周年です。当時はプロレスファンの話題を一手にかっさらったイベントであり、異種格闘技一辺倒だったように思われてる梶原一騎・中条健のマンガ「四角いジャングル」でも取り上げられ、記者会見の場面で馬場・猪木が「元気そうね」「お互い…(続



>体が資本ですからな」と言葉を交わす微笑ましい場面があったと記憶。殺伐とした対抗戦ではありませんでしたが、それぞれの団体の放送局が自分とこの団体を格上としてニュースで流すという、いかにも当時らしい展開も。(これはテレ朝版⇒https://www.youtube.com/watch?v=XybV-0zT_AM (続)



https://www.youtube.com/watch?v=I1envJsYK-I https://www.youtube.com/watch?v=_HQNbf9qsGM )さてここで述べたいのは、このオールスター戦そのものではありません。むしろこのオールスター戦が、現時点から見れば「分水嶺」の向こう側に存在しているということ、そしてその分水嶺(続



>がどこにあったかということです。1954年の力道山&木村対シャープ兄弟、そして同年の力道対木村から始まった日本のプロレス、そして現在2014年に至るまで日本のプロレスはすでに60年の歴史を持っていますが、その分岐点は明らかにそのど真ん中、「1984年」にあった。(続)



>(続)鶴田のAWA世界王座奪取による馬場のトップ移譲、6・14蔵前暴動(http://d.hatena.ne.jp/fullkichi1964/20140614/p1)による猪木の求心力低下、そして何より新興勢力にしてプロレスの価値観を改めて問い直したUWFの創設・・・これらが重なった「1984年」こそが日本プロレス分水嶺(続



>(続)であったのです。そしてその分水嶺の向こう側にある79年プロレス夢のオールスター戦は、今や遠くなった「プロレスがプロレスとして幸福たりえた時代」の象徴として見ることができるのかも。そして後にUをイデオロギー化していく男・佐山聡はこの時まだメキシコの空の下なのでした…(この項了


1984年の最も象徴的な試合の一つ、「第1次UWFスーパータイガー藤原喜明」が行われた日付・9月7日まで後12日・・・。



ではではまた。