20年前の「佐山聡、ヒクソン・グレイシーを初招聘」がもたらしたもの。

今日は佐山聡が「バーリトゥードジャパン94ジャパンオープン」においてヒクソン・グレイシーを初めて来日させて20周年。
そこから派生したものにまで話が及ぶ、強引にして駄作ツイートの例によってまとめ(笑)。


>今日は20年前、修斗創始者佐山聡が「バーリトゥードジャパン94ジャパンオープン」においてヒクソン・グレイシーを初めて来日させた日。……今からはおよそ想像つかないことであろうが、第2次UWFに対する佐山氏の攻撃は凄まじいものがあったんである。前田日明との対立によって第1次Uを(続


>離脱した佐山氏は、しかしその時点では前田&Uへの攻撃を始めたわけではなかった。僕は86年11月に北九州で行われた講習会で、佐山氏が対ニールセンでの前田のキックを称賛していた(その当時使ってたコークスクリューキックという語を用いて)のを知っている。だがそれが、第2次Uが(続


>旗揚げして「より真剣勝負的なプロレス」として世間的成功を手に入れると一転して「UWFは真剣勝負ではない」と攻撃を始めたんである。自分が作り出したスタイルで世間的ブレイクを果たしたUの面々が許せなかったのか…当時発行されていた「格闘技探検隊」というミニコミ誌での佐山氏の(続


>U攻撃は凄まじいものがありました。そして93年のアルテイメット大会(UFC)開始、その翌年のホイスの市原海樹撃破を受けて、佐山氏がある意味「これが本当の真剣勝負だ!」とのU系への攻撃の意図をもって行ったのがまさにこの「VTJ94開催→ヒクソン・グレイシー招聘」であった(続


>のでした…(しかし当時、個人的にはこの大会開催には危惧がありまして…要はこのVТルールに慣れていない修斗選手たちを何のテストマッチをも行わずにいきなり大会での体重無差別(!)トーナメントに放り込んでいいものかと…実際、川口健次・草柳和弘らはこの大会でボコボコにされ、以後(続


>浮上したとは言い難い…ショック療法といえば聞こえはいいが、そこまで性急にやっていいもんかと当時は思ったものですがねえ……−。−;)。さて、ヒクソン・グレイシーの日本マットでの初試合、対西良典戦。これは衝撃的だった!! 今回見直してみて改めてその衝撃を思い出しましたわ。(続)


>初見の方はもちろん、前に見た方も改めてぜひご覧になっていただきたい。……https://www.youtube.com/watch?v=7EXOVVPLrR4 ハッキリ言えば試合開始5秒(ビデオ開始5秒から10秒)の段階で勝負がついてしまっているのです!! スタスタとあたかも握手を求めるがごとく殺気を消して(続)


>近づいたヒクソンに、西選手が戸惑ったその瞬時に組みつかれてしまっている…これ、ヒクソンがナイフ持ってたら西さん殺されてますよね(怖)。卑怯といわばいえ、これから3試合を勝ち抜くべきヒクソンにすれば、少しでもダメージを残さず勝ち上がりたいのは当然で、そのためにどんな手でも(続


>使う…いや、口で言うのは簡単ですが、これから戦うと言う相手に完全に殺気を消して近づいてそして一気に自分の有利なポジションに持ち込むなんて芸当が、他の誰に出来るか。これを武士に例えるなら、江戸時代の形骸的な武士ではなく、戦国時代の百戦錬磨・命のやりとりを平然とこなしていた(続


>武士たちなんでしょう。少なくとも20年経った今の競技的MMAにはもう見られなくなった光景がここにあります。この後ヒクソンはダビッド・レビキ、バド・スミスを連破しやすやすと優勝を果たしています(特に85キロのヒクソンが135キロのレビキを攻略したのは圧巻!!)。これ以来(続


>「1994年のヒクソン・グレイシー」はその後ながらく僕のパウンドフォーパウンド(同体重想定の最強選手)となるのですが・・・(少なくとも「2011・12年のアンデウソン・シウバ」が現れるまでは)。しかしそのヒクソンも翌年には山本のロープつかみ戦術に手こずり、98年には高田(続


>の膝蹴りに顔をしかめ(第2戦にて)、2000年には船木のパウンドで眼窩底骨折を負わされるのですから、選手の旬というのは短いものだと思わざるを得ないのですが・・・(もっとも初来日時点でのヒクソンはすでに34歳だったので、その後の衰えは無理ないのですけど・^^;)しかしまあ(続


>そのヒクソンに「400勝無敗」という伝説を佐山さんがくっつけ吹聴したがために、Uインターでの借金がたまりにたまった高田を「ヒクソンと戦わせて返させよう」という動きが起こってしまい、その流れでPRIDEというイベント・団体が出来、そのPRIDEが各団体から選手をかき集めて(続


>日本の格闘技界を席巻したあげく、その裏勢力の成り立ちがゆえにフジテレビに切られてポシャッた⇒日本の格闘技界全体がポシャッた、ということを考えれば、結局、「佐山さんのU系への憎悪⇒ヒクソン招聘・伝説の構築⇒ヒクソン対高田成立・PRIDE旗揚げ⇒(紆余曲折)⇒PRIDE崩壊(続


>⇒日本格闘技界の大凋落」という構図が明白に……いやはや佐山さん罪作りだよなあと(苦笑)。そして当の佐山さんは修斗を離れ、かつて「ただの布きれです」といってのけた黄金のマスクかぶってプロレス復帰……あらためて天才の言動はあまりにも常人には理解不能なのでした(^^;・この項了)



最後はとんでもない方向にまで話が及んだわけですが(苦笑)。
皆さまがこの20年間を振り返るよすがとなれば幸いです(^^;;;)。


ではではまたー。