92・3・26前田対木村浩一郎エキシの背景その他について。

ホントは84年7月23・24日の第一次UWF無限大記念日のこと書くつもりだったけど、グリフォンさんとこ(http://d.hatena.ne.jp/gryphon/)で92・3・26前田対木村浩一郎エキシについて語った分量が多くなったので、こちらにまとめさせていただくのである(笑)。



そもそもがこのサイトで木村浩一郎正道会館「格闘技オリンピック」で行った前田日明とのエキシビションを「立ち技はプロレスだったが、寝技はガチ」と発言したところから始まる。
【90年代・灰色の狂気】木村浩一郎FMWとリングスで俺はこの業界をナメてしまったんですよ」 http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar569058



これについて、グリフォンさんが激しすぎる反応(笑)。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140717/p1



で、以下がワタシがコメント欄に書いた内容。



>前田対木村エキシビションに関して言えば、当時ダビングして何度も見直したからかなりハッキリ覚えています。
少なくとも寝技に関してガチというなら、前田の実力について判断するときに、
「この前年に、前田はすでに長井とのスパーで左ヒザに重大なケガを負っている」
という前提は欠かせないかと。
むろん「左ヒザは攻めない」という前提でのガチだったのかもしれないけど、少なくとも前田は怪我していた上で、木村とのエキシを有利に進めていた(たしか2回エスケープ奪っていたはず)わけで。
おそらくは「立ちはプロレス、寝技はガチ」は、
「ロー食らっちゃかなわんけど、それ以外ならええよ。タックルなら体格差あるし何ぼでも切っちゃる」
との前田の思惑があったのでは・・・とも思え、なかなかに興味深いですわ。



>追記。やや水を差すかもですが。
まず注意しなければいけないのは「ガチエキシ」はやはり「エキシ」であって「真剣勝負」ではないということ。「ガチスパー」が「真剣勝負」ではないように。
そもそも、この前田対木村エキシを語るには「日程と背景」が重要でして。
この前田木村エキシが行われた第一回格闘技オリンピックは92年3月26日開催。ところがその1週間後にはリングスの広島大会が予定されてて(自分は見に行きました。ちなみに会場で椎名誠目撃。今をときめく有吉君(高校時代)も来てたとか・笑)、メインは前田対ハン2戦目(ヒザ固めでハン勝利。ちなみにかの「プロレス最狂ファン烈伝」1巻で前田ファンの主人公が「前田が負けた」とショックを受ける試合です・笑)。
石井館長は前田にオファー出すことをためらったと思いますね。前田が出れば客入りが断然違うのは明らかなんですが、ビッグマッチを1週間後に控えたしかも怪我もある友好団体の長を引っ張り出していいもんかという。
しかし前田は「エキシならええですよ」と言ってくれたという。石井館長としては感謝の意しかなかったと思いますよ。しかも本来の格を無視して、このエキシは第一試合で行われているんです。「他のガチ試合を前に出して俺がセミとかとるわけにはいかんですよ。俺がもう出たからと言って、帰る客もおらんでしょ(笑)」・・・そこまで配慮してくれた前田に対して、石井館長としては礼を尽くして待遇するしかない・・・あくまでこのエキシはそういう背景での前田の「友情出演」なわけです。
そんな背景で、石井館長が「真剣勝負での刺客」を送り込むはずもない・・・。


>木村証言での「寝技ではガチ」はあくまで「ガチの技術の応酬」なのであって、「ガチの勝敗の争い」ではない。むしろもし木村が場を読まずに前田のヒザを極めてしまったら、顔を潰された石井館長は激怒して木村をどこでも使えなくしてしまったでしょうね。プロモートルートを潰して(苦笑)。


>木村は「天下の前田日明を相手に互角近い技術の応酬が出来た」ことで、前田は「怪我していても若いバリバリの選手相手に有利なガチ展開が出来た」ことで、そして石井館長は「最高のネームバリューを持つスターを担ぎ出したオープニングを演出できた」ことでまさに三方一両得なエキシだったと思います。
板垣さんみたいにあげつらうのはちと大人げないですよ(笑)、そもそも木村はこの3年後にはVТJ95でヒクソンの相手に担ぎ出されるほどの男なのに(苦笑)。


>ちなみに万次さんが引用してらっしゃる
>>ロープ際でタックルで倒して、アームロックの体勢に入る前に前田がエスケープしてる
てのはエキシ後半で(たしか10分一本)そろそろヒザが不安になってきた前田が、タックル取られた時点で1週間後のハン戦を配慮して「無理せんとこう」とエスケープしたのではないかと思います。
>いずれにせよ、ギリギリの日程の中で企画されたエキシだった、というのは注目しておいていいかと思いますね。



以下、派生したコメントもありますが、それはグリフォンさんところで(笑)。


まあしかしこれほどの前田と石井館長の蜜月も、佐竹対長井ガチ試合から佐竹のメガバトルトーナメント欠場ひいては佐竹リングス離脱⇒K-1専念、ですっかり冷え込んでしまい、前田も後の「HEROS」顧問就任時にはこっそり上井文彦氏に
「K-1と手を組んでまずPRIDEを潰す。その後K-1も潰してやる」
なんて発言をすることに…(1号のみで終わった雑誌「GO!FIGHТ」に収録・苦笑)。
何とも、格闘技業界の離合集散ってむなしくもはかないものだなあ、って感じがしますけどね(^^;;;)。


次回は冒頭に書いたように、
「84年7月23・24日の第一次UWF無限大記念日から30年」
について。ご笑覧あれ。


ではではまた。