1971年3月、倍賞美津子との婚約・結婚に見るアントニオ猪木28歳の野心について。

45年前の今日は、アントニオ猪木倍賞美津子さんと婚約を発表した日であります。


人気プロレスラーと大型女優のご結婚、そりゃおめでたい・・・で普通は終わる話でしょうが、猪木さんの場合はなかなかこれが一筋縄でいかない(苦笑)。

その背景を顧みれば、この婚約は猪木さんの大いなる野望達成の一つのステップに他ならないことが読み取れるからです。
それは今年前半のこの格闘史検証ブログ(いつからそうなったw)の大事なテーマとなるでしょう。


例によって、駄文ツイート転載です。ご笑覧あれ。


>45年前の本日、3日前にロサンゼルスでUN王座を奪取して帰国したばかりのアントニオ猪木が女優・倍賞美津子と婚約発表!! 「海外での王座奪取」「帰国直後の大物芸能人との婚約発表」というプロスポーツスター選手の典型的凱旋花道をやってのけたのがまさにアントニオ猪木だったわけで


>その凱旋花道をプロレスラーでかくも見事にやってのけたのは、未だにアントニオ猪木が唯一無二の存在であるわけです(^^)。何といっても当時の倍賞美津子は姉・千恵子と並んで当時の映画界・テレビ界の大型新鋭女優。この2年前の映画「人斬り」(勝新太郎主演)でもヒロインクラス出演、


>この年の大河「春の坂道」にも出演、まさに今でいえば「オカダカズチカが長澤まさみと婚約」するようなものだったのですよ!(笑)そのインパクトの大きさはまさに連載終盤を迎えていた「タイガーマスク」でも、スパーでタイガーに不覚をとる猪木さんに馬場さんが「こらっ、猪木!そんなこと


>じゃ倍賞美津子さんに嫌われちまうぞ!!」と叱咤する場面にも表れてたりするのです(笑)。当時の中高校生ファンは「おおっ、そうだ。猪木いいなあ」とか思ってたんでしょうな(^^)。・・・しかし、当時の猪木さんにとって、倍賞さんとの婚約はただのラブロマンスであるわけはない。必ずや


>「どうだ、馬場さん!! これが現代のスター選手のありようなんだよ!!」との思いが満ち溢れていたんだろうと・・・何といっても時系列を追えば、69年5月猪木第11回ワールドリーグ初優勝⇒7月NET「ワールドプロレスリング」エースに⇒…⇒71年3月26日猪木UN奪取⇒29日


倍賞美津子と婚約発表!!⇒4月第13回ワールドリーグ開催⇒5月リーグ最終戦控室で猪木、馬場に挑戦表明!!!…という流れなのだから。まさにこの挑戦表明にこぎつけるまでの業界的&世間的ステイタスアップ、その重要なステップの一つが、この「倍賞美津子ゲット」であったわけなので。そして


>その「猪木&美津子婚約」を梶原一騎が「タイガーマスク」に織り込んでいたという意味合いもまたあまりにも大きい。すでにこの時点で「タイガー」の終了を決めていただろう(終了はこの年の少年マガジン最終号)梶原先生としては、次のプロレス物の主役を考えるにあたって「あくなき野心に燃える


>男・アントニオ猪木」はあまりにも魅力的に映っただろうと・・・それがやがて、知られざる猪木主役作「マットの獅子王」、そしてあの「四角いジャングル」に結実していくと。さらには梶原先生の猪木さん接近は実はあの超ビッグイベントとなった一戦に大きく影響したと思うのですが・・・


>それはまた6月のネタに(笑)。そして猪木さんの対馬場挑戦に関しての連続ツイート&ブログアップは、5月に予定しておりますのでお楽しみに(^^)。まずはここまで、ではではまた。(この稿了)


>追記。実は猪木さんには東京プロレス旗揚げ前の海外遠征時につき合いだして結婚もしたアメリカ人女性がおり一児もなしているのですが(当時の月刊ゴングのインタビューにも出ている)……それをいつの間にか清算してまで、美津子さんとの婚約・結婚にこぎつけてるのです。今ならネットでさんざん


>叩かれてるでしょうな(苦笑)。そこまでしてまで己の社会的ステップアップを図る(アントン&ミッコの夫婦愛は、新日旗揚げ時の美津子夫人の献身的働きからスタートしたのでは)…それこそがアントニオ猪木の一面であり、まただからこそ悪魔的なまでの魅力にもつながったのではとも思うのです(^^;)


・・・


そしてこの物語は、ワールドリーグを経てからその最終戦控室で行われた猪木さんの対馬場挑戦宣言の謎へと続くのです(笑)。お楽しみに(^^)。


ではではではまた。