ここにきてUWF。・・・「『週刊ファイト』とUWF」「1984年のUWF」に見る、【朱夏としてのU】への思い。

波々伯部(ほおかべ)哲也氏著「『週刊ファイト』とUWF」とNumber連載の柳澤健氏「1984年のUWF」を合わせ読んでの感慨ボンクラツイートまとめであります(笑)。
よろしくご笑覧あれ(^^;)。


>元「週刊ファイト」副編集長だった波々伯部(ほおかべ)哲也氏著「『週刊ファイト』とUWF」一気読了。http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8E%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%88%E3%80%8F%E3%81%A8UWF-%E5%A4%A7%E9%98%AA%E7%99%BA%E3%83%BB%E5%A5%87%E8%B7%A1%E3%81%AE%E5%B0%82%E9%96%80%E8%AA%8C%E3%81%8C%E8%BF%BD%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%8CU%E3%81%AE%E5%AE%9F%E5%83%8F%E3%80%8D-%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%B9%E6%BF%80%E6%B4%BB%E5%AD%97%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-vol-2-%E6%B3%A2%E3%80%85%E4%BC%AF%E9%83%A8/dp/4575311111 やや散漫な印象はなくはないが、I編集長こと井上義啓編集長とともにUを追いかけ続けた中でのドキュメンタリーはやはり面白い。懐かしく


>思い出したのが、第一次Uの1年目にしてすでに前田が猪木への対戦要求をマスコミに表明してたこと。あったあった(笑)。ちなみにその直後での年末餅つき大会での前田の様子が伝えられてて、これまた面白い。何でも200人以上集まったファンの前で前田は泥酔、20回ほどズボンとパンツを


>上げ下ろしする前後不覚の振る舞いの後、ファンに泣きながらUWF入りのいきさつ(猪木さんに置き去りにされたアレね)を語りだし「猪木さんをぶっ殺す」「あのアゴを砕いて復讐する」と叫んだ末に、神新二氏(のち第二次U社長)に付き添われてヨロヨロと自転車で帰っていったとか。


>以上の様子は当時のマスコミ報道では全く伝えられなかったのだが、そりゃ書けんわな(苦笑)。事情を知る関係者は、前田に「しょうがねえなあ」とぼやきながらも、切ないまでの愛をも感じたであろう。…そんな前田と筆者・波々伯部氏の,30年の時を経た対談も載ってたりする。Uファン必読。


>ちなみに「『週刊ファイト』とUWF」と時を同じくして書店に並んでいるNumber898号http://number.bunshun.jp/articles/-/825264掲載の「1984年のUWF」(柳澤健)はついに第一次U旗揚げ戦のくだり。何と前田の対戦相手を務めたダッチ・マンテルの自伝(そんなものが!!)(続)


>から当時にからむ部分を引用。参加した外国人選手たちから見て、前田の「思い切り入れる」スタイルはシュート80%ワーク20%に映ったというのも興味深い。旗揚げシリーズ最終戦での前田対藤原についてのくだりは「『週刊ファイト』とUWF」に書かれているそれと比較して読まれるのも


>面白かろう。しかし、「もう一つのU」UFCWOWOW中継終了で、日本から遠ざかりつつある今、UWFが再び注目を浴びつつあるのも感慨深いものが(苦笑)。そして、第二次Uと契約しそのままリングスからUFCと中継し続けたWOWOWに道をつけたのはまぎれなく前田なんだよなあ…。


>さらに個人的なことを言えば、僕にとって昭和新日本こそは青春、第一次&第二次U及びU系三派は朱夏の熱さ、Kー1・PRIDEの隆盛は白秋の実りだったんだよなあ。今は玄冬、冬だ冬(苦笑)。いや平成新日本の繁栄は春と言えなくもないが、それはどこか遠いところでの春のような気も(^^;;)


もはや人生まとめに入りつつあるジジイのボンクラツイート連打でした(^^;;;)。


ではではまた。


※追記。「『週刊ファイト』とUWF」の巻末対談で、前田はТ中正悟の近況を「最後に聞いたのは6年前で、奈良の産業廃棄物業者の娘からお金を引っ張ろうとして、それがバレて四国に逃げてる」と言ってるが本当なのか・・・(^^;