対ハンセン、対ウィリーに見る、猪木プロレスの本質。

35年前の2月に起こった、猪木のNWF王座転落と、対ウィリー・ウイリアムス戦が密接な関係にあったという話。

例によって駄文ツイート転載。


>35年前の本日、アントニオ猪木がスタン・ハンセンにエプロンでのラリアートによるリングアウトで敗れ、NWF王座から転落。頸椎を痛め、数日の入院加療をするほどのダメージを負った(ということになっている)。http://njpwworld.com/p/s_series_00029_2_1 この頃、ハンセンはまさに(続)


>旭日の勢いといってよく、この王座奪取によりますますその勢いを加速していくことになる・・・しかしそれだけであったろうか?この猪木王座転落⇒入院加療は単にハンセンの勢いが凄まじかったためのアクシデント演出だったのだろうか?僕はこの王座転落劇の3週間後に予定されていた大一番が(続


>まさに猪木の描いたシナリオに大きな影響を与えたと思うんである・・・そう、言わずと知れた極真空手ウィリー・ウイリアムスとの異種格闘技戦である!http://njpwworld.com/p/s_series_00030_1_1梶原一騎の肝いりで仕掛けられ、週刊少年マガジン「四角いジャングル」でも大いに煽られた(続)


>この一戦が、猪木対ハンセンの3週間近く後に予定されていたのである。しかしそれならば、大一番を控えてるのだから、ハンセンなどという大敵をその直前に迎え撃ちダメージを受けるなどというのは避けるはず・・・しかし猪木の思考法はそうではないんである(苦笑)。ハッキリ言ってしまえば(続


>「猪木はウィリー(というより梶原・極真ライン)を信用していなかった」んである。この大一番でレフリーを務めたユセフ・トルコが著書「こんなプロレス知ってるかい」で、「猪木対ウイリーにはリハーサルがあった」ことを明かしており、黒幕・梶原一騎も「反逆世代への遺言」で自分が(続)


>ストーリ−ラインを描いたことを明かしている。これをもって猪木対ウィリーを茶番と見なすのはたやすい。しかし僕の見方はそうではない。「信用していないからこそリハーサルを行った」んである。もし信用し、安心しきっていればリハーサルも必要ない。いや、リハーサルが予定されてても(続)


>猪木は信用しなかっただろう、何かをウィリーに吹き込む人物がいるかもしれず、またウイリーにその気がなくとも、その面ではド素人なウィリーの本物(になってしまった)打撃がいつ叩きこまれてしまうかもしれぬ。その用意はしておかねばならない・・・だからこそ、ハンセンに完敗し入院加療(続


>したんである。もしウィリーのマジ打撃が入り、アクシデントで動けなくなる結果をさらそうとも、そして雪辱の機会となる再戦を相手が拒否し勝ち逃げしたとしても、「それはハンセンのラリアートによるダメージが大きかったから」なんである。前例はある。76年、最初の異種格闘技戦であった(続


>ウイリアム・ルスカ戦の1週間前に、猪木はわざわざタイガー・ジェット・シンと対戦し、凶器攻撃で眉間に12針縫うケガを負ってるんである。ルスカ戦本番でも、道着でこすれてその傷から出血したりしている。ルスカが妙な気を起こして、もしくはマジな投げが決まってしまってアクシデントが(続


>起こっても、「それはシンに受けた眉間の傷のダメージが大きかったから」「目に血が入って見えなかったから」・・・ウィリー戦で何かが起こっても猪木は同様の対処をしたのだろうと思う。それを小細工と呼ぶのはたやすい。言い訳対策と呼ぶのはたやすい。だが、それほどの覚悟で猪木が臨んだ(続


>のもまた事実だと僕は思うんである。今のプロレスラーにはない・・・というよりも必要のないたぐいの覚悟である(苦笑)。しかしその覚悟がひそかに伝わったからこそもたらされた緊張感が猪木のプロレスにはあったのだ。その根底にあるのは「不信」である。相手を、その背後にあるものを(続)


>信じない。時には自分さえも…猪木のプロレスも叉、90%は相手への信頼であったのは間違いない。しかし9%は相手の裏切りへの警戒、そして残り1%は自分の裏切りの誘惑への忍耐であったろう。その緊張感を、まさに猪木対ウィリーに象徴的に見ることが出来るのであると僕は思うのである。(了



猪木プロレスの本質の一端、それはまさに「何者をも信じない」ことにあった、との結論。


・・・しかしまあ最初は猪木対ハンセンから始まって、最後は完全に対ウィリー戦の話になってしまってますね、スミマセン(^^;)。


ではではまた。