30年前、第2次IWGP決勝の屈辱こそがU系を生んだ、という話。

今日は84年6月14日第2回IWGP猪木対ホーガンとその試合後に行われた暴動から30周年です。以下、例によって駄文ツイートまとめ。


>30年前の今日は第2回IWGP勝戦がおこなわれた日。あの時の暴動は30年経った今でも忘れることの出来ない出来事である。猪木とホーガンがもつれ場外乱闘になった際、劣勢の猪木を救うがl如く長州が乱入し、ホーガンにラリアットかましている際に猪木がリング内に生還し、勝ちを拾った(続)


>そうプロレス史には語られている。しかし当時の記事が掲載されている「アントニオ猪木引退記念ファイト縮刷版」には「星野らがダウンした猪木を(長州乱入のスキに)リングに押し上げた」ことが書かれているのである。記事を書いたであろう井上義啓編集長が熱烈な猪木支持者であったこと(続)


>はよく知られている。しかし、その井上編集長にしてこの告発をせざるを得なかったその断腸の思いは察してもあまりある・・・そして、当時の週刊ファイトの記事には「この大会をラッシャー木村らとともに前田日明(当時・明)が会場で見ていた」ことが記されていたのである。第一次Uに(続)


>追いやられ、そして置き去りにされた自分をよそに、新日本は、猪木は、何をやっているのか・・・前田の失望感はこれまた察するにあまりあるんである。そしてやがて新日本を離れた藤原・高田、さらにすでに離脱していた佐山・山崎らと伝説の「無限大記念日」大会を繰り広げるのはこの1カ月半(続)


> 後のことである・・・今は誰も語らないことであるからこそ書き残しておきたい。「U系と言うムーブメントを作り出してしまったのは、他ならぬ新日本プロレスの80年代半ばにおける不甲斐なさである」と・・・その失望感こそがUを生み出したのだ。僕のツイートはやがて、その無限大記念日(続)


>ひいてはその10年後に繰り広げられたバーリトウードジャパン94ヒクソン参戦をも語っていくことになるだろう。84年6・14第2回IWGP⇒同年7・23無限大記念日⇒⇒…94年7・29VТJ、それらは猪木に反発した、しかしその教えを忘れえなかった子供達の愛憎の物語なのである。


ここからの長い物語の予告もかねて。


ではではまた。


追記。
こちらの切鮫さんとこの観戦記も参考として。
http://www4.point.ne.jp/~kirisame/battle/namakansenki/1984_kansenki/19840614_shinnihon.html

さらにGスピリッツなどへの寄稿でも知られる小泉悦次さんのブログより。こちらも参考に。
http://roseckie.net/cms/?p=4684