80年前の風雲昇り竜。

といっても、もちろん天龍源一郎がいくらベテランだからと言って80年前に生きているわけがないのですが(苦笑)。


大相撲の世界で「てんりゅう」といえば実はこっちのヒトの方が大きく歴史に残ってたりします。


天竜三郎の「大日本新興力士団」「関西角力協会」旗揚げ事件。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%AB%9C%E4%B8%89%E9%83%8E


>1932年(昭和7年1月場所を前に、大関大ノ里以下、出羽海部屋の西方全関取が中国料理店「春秋園」に立てこもり、天竜が主謀者となり相撲協会の体質の改善、力士の待遇の向上などを要求し、大日本新興力士団を結成、いわゆる「春秋園事件」を起こす。またこれに呼応して朝潮男女ノ川)、鏡岩ら東方の有志も脱退して革新力士団を結成、大相撲界に激震が走った。天竜新興力士団が同年2月に根岸で旗揚げ興行を挙行したときは多くの観衆で賑わった。一方、残留組は2月になって急遽、改正番付を発行して国技館で2月場所を開催したが閑古鳥が鳴く有様だった。両力士団はその後合併したが、その年の暮れ、力士団のうち半数はが協会帰参を決め、大ノ里天竜らは関西角力協会を設立して、関西を拠点に独自に興行し協会に対抗した。しかし、玉錦双葉山らの台頭で東京の相撲協会が隆盛を取り戻すと、帰参を希望する力士も増え、1937年(昭和12年)に関西角力協会を解散した。


関西角力協会の解散後は、満州に渡って満洲国武道会の常務理事・角道部委員長として相撲の普及、育成に尽力し、1938年(昭和13年)には満州角道会を結成した。1948年(昭和23年)11月、その功績によって吉田司家からも故実門人免許を授与されている。


>あまりに守旧的な相撲協会の体質が問題視され、国会でも取り上げられた1957年(昭和32年)には、衆議院文教委員会に参考人として出席、往年の主張を公にくりかえす機会を得た。



80年前に相撲協会に反旗を翻した男!
天龍は80年前も硬骨のヒトだったのです(笑)。


http://www.youtube.com/watch?v=2iEhpaz0HV0


ちなみにこの相撲新団体。
マゲを切り、総当たりリーグ戦を行うというなかなか画期的な団体だったようで。
まるでSWSのようですなあ(笑)。


天竜三郎氏の死去は89年。
天龍とジャンボが三冠めぐって壮絶な戦いを繰り広げてる時期。
自分と同名のレスラーが戦う姿を見て、元祖天竜氏は何を思ったでしょうかねえ・・・。


今回は相撲トリビアでした(笑)。
ではではまたー。


http://www.youtube.com/watch?v=moPeL_Vo4t8