アントニオ猪木と山本小鉄の知られざる絆、「ある日付」について。
とにかく昨日の小鉄さんの訃報がもたらした喪失感は大きいですなあ・・・(慨嘆)。
表題を見て「何言ってんだ、新日本プロレスの創設メンバーなんだから当然じゃん」と思われた方、まあお聴きなさいませ。
ワタシがずっと思い続けてた、猪木さんと小鉄さんの共通項である、「ある日付」について。
猪木さんが事業等で忙しくなって道場での練習が見れなくなったときに、真っ先に道場を任せたのが小鉄さんなわけで。
選手引退させてまで、道場での指導を任せたことに対して、猪木さんは一種の後ろめたさを感じていたのではないか。
(小鉄さんは自身の引退に対して「猪木さんに言われちゃしょうがないじゃないか」と発言しています)
さて、その小鉄さんの引退試合はいつであったか。
80年4月4日。
4月4日、という日付を聴いて、はたと思い当たらねば猪木ファンとは言えない(笑)。
4月4日と言えば。
そう、猪木さんの引退試合と同じ日付なんですね。
自分の事業のために、小鉄さんに引退させてまで道場を任せたことへの申し訳なさを、
18年後、猪木さんは自分も小鉄さんと同じ日付で引退することで落とし前をつけたのではないか・・・。
あるいは猪木さんも「んなわけねえよ、ダハハハ」と笑い飛ばすかも知れないが、
それこそがダンディズムってえもんでしょう。
猪木さんは何も言わないが、
小鉄さんも何も言わないが、
お互いに心の深いところでは通じ合っていたと思います。
「偶然だろ、それー」という方、
いやそうかもしれないが(苦笑)、
しかしそういう方とは一緒にプロレスを語れないですなあ(笑)。
プロレスとはいつだって勝手な思い入れと妄想で膨れあがらせることによって輝くジャンルなんだから。
4月4日という日付とともに、
僕は猪木さんと小鉄さんの人知れぬ絆を信じながら、
これからも昭和新日本ファンでいたいと思います。
山本小鉄さんのご冥福を心からお祈りいたします。
合掌。
ではではまた。