風にさよならを言おう。(エメリヤーエンコ・ヒョードルに捧ぐ)
なぜ、エメリヤーエンコ・ヒョードルの敗戦に寂しさを感じるのか。
それはゼロ年代という10年間を背負っていたのがヒョードルという選手だったからである。
あるジャンルを10年支えるというのは並大抵のことではない。
プロレスで言えば、力道山・ジャイアント馬場・アントニオ猪木と言った選手達がそれにあたるのだろう。
それに準ずるのがジャンボ鶴田・前田日明あたりか。
外国人レスラーではどうか。
スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディと言った選手達は確かに偉大だったが、ジャンルを背負っていたとまでは言うまい。
かろうじて挙げ得るのはルー・テーズ、カール・ゴッチといった伝説の選手達だが、その全盛時を知らない身では何とも言えない。
他のジャンルではどうか。
ボクシングでそれに当たるのはおそらく具志堅や長谷川穂積だ。
長谷川の敗戦には確かにショックを受けたが、長谷川に夢を見たのは約5年間。10年と言う歳月はさらに重い。
海外のボクサーでもそれに当たるのはモハメッド・アリぐらいなものではないのか。
マイク・タイソン? タイソンの全盛期をリアルタイムで見た人間から言わせてもらえば、タイソンの無敗の時期はせいぜい4年なのだ(86年から90年)。とてもアリやヒョードルの域には及ばない。
柔道で言えば山下か。小川直也ではそこまではいかない。
要はエメリヤーエンコ・ヒョードルとはそれほどの選手だったのだ。
ゼロ年代とは決して良い時代ではなかった。
日本全体においては小泉時代を経てからの凋落の一途の時代であり、
格闘技においては前半はPRIDEが圧政と言ってもいい猛威を振るって弱小団体を圧迫し、後半はそのPRIDEの衰退とともに日本の格闘技そのものが転落していった時代である。
しかしその中においても、唯一信頼感を抱ける聖域がエメリヤーエンコ・ヒョードルだったのだ。
そして彼が、PRIDEが事実上潰したリングスの出身であることが何とも痛快だった。いくら栄耀栄華を誇ろうが、おまえらの頂点に立ってるのは俺たちの支持してきたリングスの王者なんだよ、へん(笑)。
そのヒョードルが敗れた。
否応なしに僕らはゼロ年代に別れを告げざるを得なくなった。
ゼロ年代においてヒョードルは無敗だった。
厳密には「21世紀のゼロ年代」において。
彼がそれまで唯一敗れたのは2000年の最後、20世紀の最後に行われた高阪戦におけるケガ負けであり、それを最後にしてついに「21世紀のゼロ年代」において敗れることはなかったのだ。
僕らは21世紀というつらい時代を、ヒョードルという絶対王者を仰ぎ見ることによって心の支えにして生き抜くことが出来たのだ。
そのヒョードルが敗れた。
ゼロ年代という時代を支え、2010年代に入るやいなや「俺の役目は終わりだよ」とばかり敗れたのだ。
僕らはヒョードルという支えを無しに、次の10年間を生きていかねばならないのだ。
エメリヤーエンコ・ヒョードルの格闘人生はおそらくまだ続く。
しかし「ゼロ年代のエメリヤーエンコ・ヒョードル」という10年間を風のように駆け抜けていった存在は、もう帰って来ないのだ。
僕はエメリヤーエンコ・ヒョードルにさよならは言うまい。
風に、さよならを言おう。