緑の殉教者、一周忌に合掌。

題名でもうお分かりでしょうが、今日は三沢光晴選手の一周忌であります。



この一ヶ月くらい、三沢のプロレス人生を振り返りながら考えていて。



多少の反発を覚えながら見ていた2代目タイガー時代、


ジャンボへの挑戦から始まった超世代軍時代、


川田・小橋・田上とその戦いを高めていった四天王時代、


そしてノア・・・。




その全ての時期において、三沢のプロレスを熱く見続けていたのだ



と言ったらやはりウソになる。



ノアを設立してから、その箱庭的純粋培養プロレスに醒めてはいなかったか。


蝶野とのネックブリーカードロップ、卍固めを繰り出しあうフルタイムプロレスを接待プロレスとけなしちゃいなかったか。


小橋欠場後、44歳にしてGHC王座を獲得し7度も防衛した三沢に対して、そして翌年プロレス大賞MVPを受賞した三沢に対して、「何を今さら」と思っちゃいなかったか。



要は、


格闘技ブームに負けまいと自分たちのプロレスを守ろうとした三沢、


他団体と協調してでもプロレスの牙城を守ろうとした三沢、


そして小橋ダウン後、自分にムチ打ってタイトル戦線に乗り出し、体をガタガタにしてでも団体を守ろうとした三沢のことを、


僕らは何も分かっちゃいなかったのである。





死の四日前、三沢は50歳での引退を口にしてたという。


引退ツアーなどはせず、いつの間にかという形で身を引くつもりだとも。


しかしおそらくスタッフから「引退ツアーして、団体の収益を助けてください!」と泣きつかれたら、「・・・しょうがないな」とその望みに応じたであろう。


三沢光晴とはそういう男だった。


それゆえに命を落としたのだ。




三沢がこの世を去ったのは午後10時10分。


僕はその時間、どこにいようともエルボーを10回振ろう。


馬鹿馬鹿しく見えるだろうが(苦笑)、それが僕なりの三沢への10カウントだ。




自分の半生を打ち込んできたものを愚直に守ろうとした男に合掌。



そして、来月の11日は破壊王のためミドルキックを10回打つのだ。




ではではまた。