前田日明はジ・アウトサイダーのために死ねるか?

明日、5月11日は新撰組副長・土方歳三の140回目の命日、140周忌です。


新撰組副長土方歳三
といったとき、官軍は白昼に竜が蛇行するのを見たほどに仰天した。
歳三は、駒を進めはじめた。
士官は兵を散開させ、射撃用意をさせた上で、なおもきいた。
「参謀府に参られるとはどういうご用件か。降伏の軍使ならば作法があるはず」
「降伏?」
歳三は馬の歩度をゆるめない。
「いま申したはずだ。新撰組副長が参謀府に用がありとすれば、斬り込みにゆくだけよ」
あっ、と全軍、射撃姿勢をとった。
歳三は馬腹を蹴ってその頭上を跳躍した。
が、馬が再び地上に足をつけたとき、蔵の上の歳三の体はすさまじい音をたてて地にころがっていた。
なおも怖れて、みな近づかなかった。
が、歳三の黒い羅紗服が血で濡れはじめたとき、はじめて長州人たちはこの敵将が死体になっていることを知った。
歳三は、死んだ。


・・・司馬遼太郎燃えよ剣」での土方の壮絶にして美しい死にざまは、彼の蝦夷共和国への思いとともに、未だに美しく俺の中で輝いておりますよ。
おそらく日本史上最も熱狂的なフアンをもつ人物の一人ではないでしょうか。


さて、一方5月11日といえば、前田日明のフアンにとっては非常に意味ある日付であります。
それは91年、フアイテイングネットワーク・リングス旗揚げの日として。



最初に言っておけば、僕は前田日明のフアンです。
彼が83年に凱旋帰国する前の週刊ファイトでの紹介記事から始まって、帰国第一戦での3分余りでのポール・オーンドルフ撃破、4対4綱引きマッチでの長州戦、第一次Uでの苦闘、佐山とのセメントマッチ、新日本での藤波戦、アンドレとのセメント、ニールセンとの死闘、そして第二次U旗揚げ、ゴルドー戦、ドールマン戦、船木とのUでのラストマッチ、リングス旗揚げ、ハンとの名勝負数え歌、フライへのガチンコ踏んづけ、カレリンとの引退試合、赤いブレザーのCEO姿・・・
思い返しても、それぞれの場面にそれぞれの思い出がつめ込めれていますね、実際。



個人的なことを言えば、92年の4月2日、翌日にリングスの広島大会に控えた夜、38度の熱が出ちまいましてね。普通ならたとえチケットを買ってても休むとこなのかもしれないけど、わたしゃ絶対に死んでも行こうと思いましたね。
なぜなら、第二次Uの時に一回も来てくれなかった広島まで、前田が来てくれてるのだ!! 島根から中国山脈越えてでも行かないわけがないじゃないの!!
その時の日記がもうイカレてて(苦笑)。


「今、俺が27歳、ジム・モリソンやジミ・ヘンドリックスが死んだのと同じ年に前田日明のため事故って死ぬ!! 上等じゃねえか、待ってろ前田!!」


・・・何が上等なんだか(苦笑)。高熱に浮かされてるとしか思えん(^^;;;)。


翌日は暖房フルモードで掛けて、フラフラながら山道越えて広島サンプラザまで行きましたよ!!
大会は前田がハンに初敗北で残念だったけど、佐竹がレンテイングKOするのも見られたし、まずは満足でした。終わってから帰る途中も暖房掛けてったら現金にも風邪が治ってたりしてね(^^;)。


まあそんなだから、前田への思い入れはおそらく他の選手とは違うものがあって。たぶん今までのプロレス・格闘技観戦歴を通じてもっとも印象的な選手はと言われれば、藤原組長と前田を挙げるだろうし、たった一人と言われたら、悩んだ末に前田日明を選ぶだろうと思います。



さて、冒頭の土方歳三前田日明を比較したとき、おそらくは新撰組全盛時が第2次UWF、鳥羽伏見から東北での死闘がリングス時代、そして蝦夷共和国が・・・はたしてジ・アウトサイダーたり得るのかどうか。




正直に言おう、僕はかつてのリングスフアンがジ・アウトサイダーに共感し流れて行ってる心情が今ひとつ分からない。


だって志の高さが全然違うじゃないか、リングスの理念はリングスサイトによればこうだ。


http://www.rings.co.jp/02rings.html


>旗揚げにあたり前田は「ネットワーク構想」を打ち立て、全世界に道場を設立し選手を育成、日本で戦わせてる事と、 ネットワーク参加国に対し、自国での種独立興行形態を約束しその実現に奔走した。


>これは、ひとえに総合格闘技の黎明期において、選手育成と世界組織創立の為の無謀なる経営的な実験とも言える物だった。 1991年のリングス・オランダを皮切りに活動停止までに10ヶ国に上った。



この「世界中に道場を設立」した上でのネットワーク設立というのがまさにリングスのリングスたりえるところではなかったか。


しかるにジ・アウトサイダーはどうか。自前の道場を持って選手を育成しているわけではなく、個性あるキャラを持った喧嘩自慢の選手にアマチュアで一定の戦績を持った選手を交えて試合させているだけではないのか? 道場無しに選手の技術向上は望めるのか?


さらにはリングスには総合格闘技の五輪種目化などの無謀なまでの夢があった。僕らはそれを前田のインタビューで読み、聞きながら、
「まだ前田さんが大ボラふいてらあ、いい加減にせえよこの人は」
と笑いながら、しかし本気で夢見ていたのだ、前田の、リングスの、そしてフアンの夢が、夜空の星の如くきらめきながら現実化していくことを。そして僕らの手がその星に届くことを。
それはまさに土方歳三にとっての蝦夷共和国に匹敵するような雄大な夢であったと思う。


ジ・アウトサイダーにはそういう夢があるのか?前田は将来的に有望な選手をリトアニア・ブシドーに送り込む用意があるという。
だが定期的な練習を一定の理念で積み上げていない選手が、レミギウスやスミルノヴァスのような逸材を生んだリトアニア勢に勝てるのか? 僕には今は絵空事にしか聞こえない。
さらにはそのリトアニアという選択もあくまで「旧リングスネットワークの中で」というあまりに穏当な選択に見えてしまうのだ。これがブラジル・ノヴァウニオンへというのならば、全く話は違ってしまうのだけれど。



ハッキリ言おう、前田日明にとってジ・アウトサイダーは、
「不良上がりから格闘家に上り詰めた自分の人生を再確認する作業」
でしかないのではないか。
そしてそれは「殺伐としたようでいて実は非常にまったりとした居心地のいい空間」すなわち「実はまったく前田日明らしくない空間」にジ・アウトサイダーをしてしまっているのではないか。
だってそうじゃないか。前田日明前田日明たるゆえんは、
「自分を圧迫するシステムに反旗を翻し、その包囲を死にもの狂いで切り破っていく」まさに新日本プロレスUターン時に見せていたそれではなかったか。
「不良青年達(と一部の有望アマチュア選手)を安全なルールの中で戦わせる」というコンセプトの中にそれが見えないのは当然である。だってそれは「庇護」の論理なのだから。


本当に前田日明らしいジ・アウトサイダーの姿とは、試合を勝利で終え歓喜している彼らをたとえば高阪剛のジム「A-SQUARE」にたたき込み、それこそ圧倒的な技量の前に屈服させ、血の涙を流させ、そこから再起させる姿ではないのか。
僕はそう言う姿を夢見て、一年間こっそりジ・アウトサイダーを横目で見てきた。そういう姿がいつか見られるのではないかと思って。
しかし、出てきたのは映画「クローズ」とのタイアップなどと言うどうでもいい(ああ、本当にどうでもいい!)話であった・・・。
それが25年間四半世紀、前田日明を見続けた結論の姿なのかね。



ある意味、前田日明におけるジ・アウトサイダー高田延彦におけるハッスルのようなものになってしまっていないか。
おもちゃをあてがわれて、業界の中心から遠ざけられている。そんな風に見えてしまっているのは僕だけなのか。



僕はやはり土方歳三がその死に場所を求めた蝦夷共和国のごとく、
ジ・アウトサイダーにも果てない夢の込められた場所であってほしい。
もし前田がその終焉の地をジ・アウトサイダーに求めているのならばだ。



自分の半生を回顧しながらニコニコ顔で自分を慕う不良青年達と記念写真に収まる前田日明など見たくはない。
僕が期待するのは土方のごとく、自ら一剣を振るって敵の銃口に向かって突き進んでいく姿だ。
土方は蝦夷共和国と自らの節義のために死んだ。
前田日明はジ・アウトサイダーのために死ねるか?



具体的には、自らでも高阪らにでもいい、アウトサイダー勢を鍛え上げてドリームへ戦極へと勇躍乗り込んでいく姿だ。
それが見られたら僕は「ああ前田だ、それでこそ前田日明だよ!」と涙を流しながらその戦場へと馳せ参じていくことだろう。



17年前、熱に浮かされながら死をも覚悟して(アホだけど・笑)リングス会場に馳せ参じたあのときのようにだ。




以上、妄言多謝。