改めて(笑)を考える。
今回は表記としての(笑)の問題について書きます。これは単に現代ネット文化のみならず、80年代以降のサブカルチャー全般に関わる問題なので。
で、まず確認。
(1)70年代には記号としての(笑)はなく、あるのは座談会などでの(笑い)(一同笑い)だけであった。
つまり、「この場で笑いが起こったんですよ」という事実報告のための(笑い)であって、決して自分の文章の中で(笑)という記号をつかうことはなかったと記憶します。
有名な狐狸庵先生遠藤周作とマンボウ北杜夫の対談でも記号としての(笑)が使われることはなかったような。
そしてもう一つ。
(2)記号としての(笑)が用いられるようになったのは80年代前半の「OUT」「ファンロード」などのオタク雑誌からである。
これは僕の記憶によるとそうなんですね。やたら(笑)が多用される文章というのは80年代のオタク文化勃興の時から起こった。
そしてそこで使われる(笑)というのは・・・これが重要なとこなんですが、「熱く語っている自分を茶化すための自己韜晦(とうかい)であり、自嘲の笑いであった」
繰り返し言いますが、これかなり重要なんですね。対話のための(笑)ではないわけです。80年代前半の文章というのは当然雑誌などの紙媒体掲載のための文章であり、一部の論争をのぞけば自己表現・自己表白のための文章であったわけだから。
「こんなことを自分は思ってるんですよ、でも参ったな、こんなに熱く語っちまって(笑)」
というのが本来の(笑)の使われ方であったわけです。
で、それに対してもちろん批判もあったわけですが、そのほとんどが、
「(笑)なんかで茶化さず、真面目に語れ。逃げ道作りやがって」
というようなものであって、決して
「こっちのことを笑いやがって」
というものではなかったように思います。対話のためのものではないのだから。
しかしやがて90年代には(笑)が浸透し、オタクだけでなく一般人も(笑)を文章の中に用いるようになってきた。
ところが90年代後半、ネットの時代になってくると困ったことが起きるわけです。
ネットの文章はどうしても対話のためという前提になっているわけだから、そこで使われた(笑)を自嘲の笑いでなく、自分に向けられた笑いではないかととる人々が出てくるわけですね。これで角が立ち、ギスギスしてくる。
そこで顔文字であるところの(^^)等が現れた。これなら相手に対する好意を示すことが出来る。ただやはり子供っぽい印象は否めませんよね。ネット以外の一般的な文章に(笑)は用いることは出来ても(^^)は用いにくいから。
だから(笑)と(^^)の併用というのが現在のネットの状況でしょうが、携帯風の絵文字も出てくるとなるとますます(笑)の居場所は無くなっていくのではないかなあと思いますね(苦笑)。
まとめると、
「(笑)は、文章が自己表現・自己表白であり対話のためのものではなかった時代の産物であったが、対話を中心とするネットの時代になると、誤解・曲解を生む可能性もあり、徐々に衰退していく傾向にある」
ということで、何だか自分に不利な結論になってしまいましたが(^^;)、まあ要は
「オリが時代遅れ」
という終着点になってしまうのではないかと(爆死)。
まあいよいよもって引退が近いなあ(^^;;;)。
ではではまた・・・。