日本テレビ55年のプロレス中継に幕

http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20081217-440926.html


まあ「ノア中継」でなく「全日本プロレス中継」が休止だったらもっと感慨が湧くんだけどなあと(苦笑)。


ワタシのプロレス初体験はマンガの「タイガーマスク」でしたけどね。日本プロレスの中継そのものはまだ小学校に入る前だったんで見てなかったですなあ。むしろアニメの「タイガーマスク」の後にやってた「底抜け脱線ゲーム」に出てたサンダー杉山見て「このヒト、プロレスラーだっていうけど、タイガーマスク出てないよなあ。偽物じゃないかしらん」と思ってたくらいで(国際プロレスだから「タイガー」には出てなかったのね・苦笑)。


で、本格的には猪木さんとこの新日本プロレスを74年の秋から見出しのが実際のプロレスとの出会いで。猪木対大木戦からですな。猪木対ストロング小林は月刊ゴング立ち読みしてたからいきさつは知ってたけど(笑)。
で、ゴング読みながら「馬場さんは昔は偉いと思ってたけど、今は猪木の挑戦を逃げてるらしい。うーむけしからん」とか思ったりして(小憎らしい小学生だ・笑)。


土曜の全日本プロレス中継見出したのは「全員集合」に飽きが来て、「欽ドン」もいったん休止した時に「しょうがないな、馬場さんとこでも見るか」てな感じで見だしたんですよ(失礼ですね・笑)。
当時は土曜8時で、鶴田対マスカラスとかフアンクス対ブッチャ−・シーク見てかなりハマりましたなあ。で、翌々年に夕方に移行しちゃうんですが(苦笑)それでも引き続いて見てたと。


中学時代はマスカラスだのテリーだのに熱中する単純バカでしたが(苦笑)、高校時代にはドリーやフレアーの渋さに目覚めたりして(笑)。それでも新日本との格差は明らかだったような気もしますが、そこにもってきてのハンセン移籍!! あれでぐっと新日本との格差が縮まったんですなあ。ハンセンとの初対決では馬場さんも見直したし(笑)。


そして大学時代には長州等維新軍が移籍したりして、新日本に完全に追いついた感も。さらに長州のUターンで危機感をもった天龍・原の天龍革命で完全に試合のハードさは新日本を抜いたような。鶴田を目覚めさせたのも大きかったわけで。


天龍が抜けてからは、鶴田がライバルを作るためか三沢に星を譲りだしたのが少し寂しかったりして(苦笑)。そして鶴田が肝炎で抜けた後の四天王プロレス時代。あの頃は何だかんだ言ってプロレスの極北にたどりついたかのようなハードな試合の連続だったなあ・・・。正直、新日本は93年ぐらいから見るの飛び飛びになってたけど、全日本は96年くらいまで毎週見てましたよ。阪神大震災の直後に、川田と小橋が60分フルタイムの試合を神戸でやったのにも感動したりして。


そんなワタシが97年くらいから全日本を見なくなったのはなぜか。
K−1の台頭なんかもあるけど、要は、
「飽きた」のだ、申し訳ないけど。
「これだけ一生懸命にやってるんだから、分かってくれるでしょ」
という感じの試合に何となく甘えを感じ始めだしたのだな、結局は。
実際、
「これだけ一生懸命にやってるんだから、分かってくれるでしょ」
はいずれ、選手の衰えとともに、
「これだけ腹が出ても頑張ってるんだから、分かってくれるでしょ」
になってしまうわけだし(苦笑)。今の三沢さんのメタボぶりとかはなあ・・・。


唯一、プロレスラーとしての誇りと矜恃を感じさせた小橋建太は病魔に倒れるし・・・(鶴田もそうだけど、大きすぎる選手があのハードな試合をこなすのはやはり無理があったんじゃないかなあと。高山戦とか感動させてくれただけに残念)。


ともあれ「四天王プロレス→ノアプロレス」の事実上の終焉は、「一生懸命の向こう側」を提示できなかったものの自滅を思わせるものがある。



日本テレビのプロレス中継」よ安らかに眠れ(3月までは続くけど・苦笑)。
今はいくら見ても飽きることの無かったドリーやフレアーのプロレスこそが懐かしい。どうしようもなく。