最近、某所で書いてる内容一挙公開。

はてなブックマーク経由で見たこれ、笑った笑った(^^)。

ゆうメンタルクリニック(もうこの名前ですでにそっち系の人が入りやすくなってる・笑)。上野駅0分、カウンセリングを重視した心療内科医院のホームページにて。

ケータイの方は後でパソコンでご覧あれ。
(ケータイでも見られるけど小さいみたいです)


http://yucl.net/manga

マンガで分かる心療内科・精神科
第一回 「適応障害って何ですか?」

http://yucl.net/man/13.html

「さっそくですけど、先生「適応障害」ってなんですか?
(中略)
なるほど、『適応+できない』ですから意外とそのまんまなんですね」
「まあ・・・」
「『ゴリ+夢中だから五里夢中』なのと同じですね」
(ゴリラが恋愛してウホウホ言ってる絵)
「同じって何がだよ! キミの頭が五里霧中だよ!!」


第二回 「うつって何ですか?」

http://yucl.net/man/14.html

「精神科や心療内科では『うつ病』と表記するんです。『鬱病』より『うつ病』が分かりやすいでしょう?」
「なるほど・・・確かに『薔薇病』より『ばら病』の方が分かりやすいですものね」
腐女子の方々が喜びそうな美青年愛の絵)
「ないよそんな病気! 難しい漢字つけたら病気になると思うなよ!」


第三回 「EDって何ですか?」

http://yucl.net/man/15.html

「勃起不全erectile dysfunctionの略ですね」
「私はend of danseikiの略だと思ってました」
「勃起の話とは言え看護婦が下ネタいうな!」
「もしくは・・・『えっ、ダメなの…』の略とか・・・(ポッ)」
「もう略の話はいいよ!!」


全編こんな調子(笑)。

いやあ一度かかりに行ってみたいですなあ、こういうとこなら。話のタネに(^−^;)。








ニコニコ動画から引っ張ってきましたが、ここ30年くらいのJ−POPサウンド(まあこの言い方ホントは大嫌いなんですが・苦笑)が一つのコード進行(王道進行)から成り立っていたという話。
なかなか面白いですね、これは。


http://www.nicovideo.jp/watch/sm4947752


http://www.nicovideo.jp/watch/sm4947852

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.virtual-pop.com/music/2008/10/jpop.html

http://www.virtual-pop.com/music/2008/10/jpop.html

1978年の「オリビアを聴きながら」に始まって
(=♪おきにいりのうた〜)

82年の「悲しい色やね」
(=♪しずむまーちーのひを〜)

86年の「シーズン・イン・ザ・サン
(=♪すとっぷざしーずんいんざさーあん〜)

ことごとく同じコード進行であると。
で、それはある時期まで日本人の好むコード進行のひとつでしかなかったのだけど、80年代後半に世界的に流行ったユーロビートブームによって(マイケル・フォーチュナティの「ギブ・ミー・アップ!」とかですね。ベイブがカバー・笑)それがいかに普遍性のあるものであるかが分かってしまうという。
(ベイブバージョンだとよく分かりますね。
♪もっと、しっかりしてーよ〜・苦笑^^;)

それがいわゆるエイベックス系などの氾濫によってもう日本中の音楽がこのコード進行で埋め尽くされてしまうことになり、それがすなわち音楽の画一化になってしまった、ということでありますね。
まあ要は「どっかで聞いたような曲ばっか」ということであります。

2000年のミーシャ「エブリシング」や2004年の平井堅「瞳を閉じて」2005年のケツメイシ「さくら」などことごとくこの王道進行になってて、それが飽きられることすなわちJ−POPの没落へとつながったんじゃないかという話でもあります。

まあ正直J−POPなんか没落してもまったく構わないわけでありますが(苦笑)、それはあらゆるジャンルにおいて言えることなのかもしれないですね。小説・マンガのキャラクター化、映画のハリウッド化、プロレスの大技ラッシュ、それらすべてが一時期のヒットの踏襲に過ぎず、必然的に飽きをも生んでいくという・・・。
それは人間のなすことすべてに言えることなのかもしれませんがね。考えなしのヒットの踏襲、その繰り返しが徐々に地盤沈下を招いて行くわけで、それはある意味やむを得ないことなのかもしれません。

で、ワタシは「さよなら絶望先生」の15巻を読みながらこの文章を書いてるわけですが(笑)。「絶望先生」のスタイルは久米田康治が自ら確立したもので、これはもう誰も追随しようのないものになっています(したところで1・2巻くらいであっけなく潰れる・笑)。問題は、自分で自分のネタを使い回してしまうことですが・・・まあいいやこの話は(この日記もそうなってるし^^;)。







世界同時株安勃発の恐るべき真相。

東原亜希が株に手出したからだそうです(核爆)。







先日のボクシング中継で時間の空きに流れた、マイク・タイソン対ジェームズ・バスター・ダグラス戦久々に見ました。



タイソンがボコボコに打たれながら、ラスト間際必死にピーカーブー(アゴを両拳でガードするやつね)とろうとするところは、十八年前も泣けたが今回も泣けた。

すべての栄光を失おうとする直前、彼が最後にすがったのは、ボクシング習いたての頃にカス・ダマトから教わったピーカーブーだけだったんだろうなあと。

そしてそれを打ち砕かれたとき、糸の切れた人形のようにマットに沈んでいく・・・。

彼の真の復活が二度となかったことを思い合わせても、泣ける。



格闘技を見るということは、勝利の歓喜に酔いしれるということでもあるけど、敗北の瞬間にその選手の真の姿が透けて見えるということでもあるのだ。

タイソンの場合、少年時代にダマトに最初にボクシングを教わった時の喜び、それが彼を支えているものだった。

器具を使わず一対一で戦うからこそ、それに敗れた時に透けて見える選手の真の姿、切なさ、「もののあはれ」。



格闘技は深いですなあ、改めて。



今回は特に雑多でした(苦笑)。
ではではまた。