前回で紹介した那嵯涼介氏のゴッチ論考についての補足。

前回当ブログで述べた僕の疑問点について、某所で那嵯涼介氏ご自身が逐一補足してくださってたので、無断掲載。公平を期すためですのでご容赦を。


>まずイスタスがライレージムを初めて訪問した際、ヘビー級のジョイスはもとより最終的にはライト級の体格のメルヴィン・リスにまでタップを奪われたという件で、このエピソードを明らかにしているのがこの時点で入門していないはずのビル・ロビンソンであるという点、その場にいないはずのロビンソンが何故その事実をまるで見たように話すのか、というのがこの方の疑問としてあるようです。このエピソード自体は「ロビンソン自伝」でも触れられているものであり、初公開というわけではないので私自身大して気に留めず書いたのですが、ロビンソンのコメントが日本の読者の方には一番分かり易いと思ったのでそれを採用したまでで、晩年のビリー・ジョイスと対面した方が、ジョイスがこのイスタスとのスパーリングについて言及し「1分だったよ」と笑いながら話してくれたという証言もお聞きしております。これがそのタップに至るまでの時間までもロビンソンのコメントと合致する事から、彼がジョイスやその他この場にいた複数の人間から後日この話を詳細に聞いたであろう事は間違いのないところだと思います。またゴッチ自身が、後年の日本でゴッチ教室の生徒達に同様の話をしたというのも、日プロOBの方に最近伺いました。今回の原稿を書くにあたって新たな別の証言を得るという事は、その場にいた恐らく全ての方が鬼籍に入っている事から不可能ですが、一応可能な限りの証言は得ているという事はお伝えしておきます。
>ゴッチ・ロビンソン戦における写真のキャプションはもちろん私自身が書きました。このブログを書かれた方のように「両者は本当に仲が悪い」とお考えになっておられる方が多勢いらっしゃるのを存じておりますので、そのイメージを少しは払拭しようと書いたのですが逆効果であったようです。両者の関係についてはやはりかなりの説明を要しますので、次号で改めて詳しく書いてみようと思っておりますが、ここでは一言だけ「ロビンソンはゴッチの実力をきちんと認めている。ただ“神様”というレベルではないと言っているのみである」事を述べさせて頂きます。

>次にサンボを習得しているロシア人との出会いの場面ですが、この部分の記述が淡白であった事がその方にはご不満であるようです。私が参考とした文献にもそれほど多くの事が書かれていたわけではなく、エピソードとして触れるのみに留めたのですが、実際にもイスタスがこの人物に直接指導を受けたわけではなく、恐らくは数日間彼のスパーリングを驚きの目を持って眺めていた程度だろうと思いますので、それでサンボの数多くの技術を習得できるわけもなく、ただそれがレスリングにおいても有効に用いることができる技術だと思ったという話だと思います。ただしゴッチはロシアのレスラー、サンビスト達の強さという点については、後年もかなり言及しており、大いに認めるところがあったのはこの初遭遇での印象がかなり大きかったのではないかとは考える次第です。

>イスタスのナチス収容所時代の件で、柳澤健氏の先の「number」における文章の引用を避けたのかという疑問には、氏のゴッチ欧州時代の記述にはあまりにも誤りが多く(クラウザーの名前で試合をしていた、少年時代のレスリングジムにエド・ルイスが練習に来た等々)、何より欧州時代のゴッチのエピソードを、彼がアメリカに渡ってから知り合った人物にのみ聴取している事から、これはきちんと調査を行なっていない、今回の原稿を書くにあたっては採用するに値しない資料だと判断しました、とお答え致します。ちなみに、ジャンゴ・ラインハルトに関するエピソードについては、古い時代のアメリカのプロレス雑誌から情報を得ました。

>ビリー・ジョイスの亡くなった年を書いたのは、ジョイスに限った事ではなく、他のライレー・ジムのレスラーに関しても生年、没年は判明している人物については全て記載があるはずです。前田日明の発言云々は意識の中に全くありませんでした。



まことにスキのない追記です。
恐れ入りました、という他はない(苦笑)。


改めて、流智美氏の衣鉢を継ぐ新進気鋭のプロレスリング歴史家が誕生したことを慶賀したい。ブログお読みのレトロマニアの方々(どの程度いるのか分からんが・苦笑)、那嵯氏に最大限の期待をしていただいて良いと思いますよ。
今月Gスピリッツの前篇、そして再来月Gスピでの後編、ともにチェックされたし。
ではでは。