数学まったくダメダメだった人間が書くことではないのかもしれんが。

なかなか興味深かったので。
語尾の「にゃー」「にゃー」がちょっとウザいが(苦笑)、頑張って読んでください。

http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20080703/1215073074



>飲み仲間のひとりに、数学の個人塾をやっている高校の先輩がいますにゃ。この間、ひさしぶりにこの先輩と飲んだおりに、ちょっとびっくりする話を聞きましたにゃ。

「高校の数学の試験で、授業で教えていない解答をすると×にするようになった」

「はあ!? 別解はご法度ということですかにゃ?」

「そうだ。中学ではあったんだけど、高校でもそうなった」

「高校って、もしかしてA高(僕らの母校で、いわゆる進学校)でそうなんですかにゃ!!??」

「そうなんだよ。まあ受験生になれば何でもアリになるようだが、1〜2年の定期テストでは別解が認められなくなった」

「工工工工工工工工工エエエエエエエエェェェェェェェェェェェェェ(゚Д゚;│」

「俺だって信じられねえよ」

「数学って自由なものではなかったのですかにゃ?」

「俺だってそう思いてえよ」

「別解って誉められるものではなかったのですかにゃ?」

「俺は誉めてるよ」

「・・・・チェバの定理やメネラウスの定理(を使ってベクトルの問題を解くの:追記)は?」

「もちろんダメ」

「円の軌跡を一次変換を使って解くとか」

「ダメ」

「数1の関数を微分をつかって解くとか」

「ダーメ」

「そんな、何でもダメだと面白くにゃーですよ」

「俺だってぜんぜん面白くねえんだよ」

「・・・・・微分のことは微分でしろ、は?」*1

「もう通じねえな」



>なんでも、数学の別解を認めにゃーという恐るべきファシズムの根は、中学の馬鹿親にあるようなのですにゃ。

「別解を認めると、塾にいっている子が有利だから認めるな」

>こんなカスのような言い分が、今の疲弊しきった教育現場で通っちゃったらしい。

>で、さらにそれが高校にまで伝播(電波?)してるんですって、奥様。

>「にゃんじゃそりゃああああああああ!」と松田優作風に叫びたい気分にゃんな。


(中略)


>結論
>地方においては、公教育の機会均等がある程度保障されていた
この機会均等を、住民は当然とみなしていた
日本は格差拡大時代に突入したが、現場の努力である程度まで解消されていた
現場の努力では格差の解消がしきれなくなり、公教育の現場に格差が持ち込まれた
その結果、「下方」への引き下げ圧力が生じた
こんな感じで、教育現場においては、格差の顕在化と、格差を否定したい同調圧力というか変な平等志向の相克が軋轢を生んでいるのではにゃーだろうか。それで、「数学で別解を認めない」などという気の狂ったお話が一部ででもまかり通ったりしているように思えますにゃ。


>そのうえ、美辞麗句としての「個性尊重」が唱えられているわけですにゃ。

>現実としての格差拡大
格差を否定したい同調圧力
個性尊重という美辞麗句
この、お互いに矛盾する三すくみで、教育現場もガキもぐだぐだになっているのではにゃーかと。


なるほどねえ。
国語なんかは「別解」を認めねばやっていけない科目だから、まだこういうとこは大らかなもんですが、いずれはこういう圧力がかかってくるんですかねえ。
しかし「機会均等」の名のもとに、ひょっとしたら自力で別解にたどりついたかもしれない少年少女たちの発想の芽も摘まれてしまうとしたら悲しいことですな。

ちなみに、注のついていた部分の解説。



>*1:ある微分の難問を、微分を使わない別解で解いてみせた後に、「「微分のことは微分でしろ」といいますからお勧めできない。」という駄洒落をいうのがなぜか母校の数学の授業の伝統になっていた


ワタシなんざ「微分のこともまともに出来ないのか」と言われてた口ですけどね(苦笑)。
ではではまたー。