安倍さん何言ったのかと思いきや。

いや結構まともな発言じゃないか(笑)。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080508-00000967-san-pol

>中国の胡錦濤国家主席中曽根康弘海部俊樹森喜朗安倍晋三の歴代首相4人との朝食会が8日朝、東京都千代田区ホテルニューオータニで開かれた。89歳と最年長の中曽根氏が主宰し、和やかな友好ムードが演出されたが、安倍氏が中国側が神経をとがらせているチベットウイグルの人権問題を指摘したことで、一時緊迫する場面もあった。出席者らの証言から、その様子を再現する。

>朝食会は午前8時からの約1時間で、会場の日本料理屋入り口では中曽根氏らが出迎えた。計6回の靖国神社参拝をめぐり、中国側と対立した小泉純一郎元首相は「おれが行ったら、胡主席は来ないんじゃないか」と周囲に漏らしており、姿を見せなかった。

(中略)

>会場の「緩い空気」(出席者)が一変したのは、続いて安倍氏がこう発言してからだ。

「お互い国が違うので、利益がぶつかることもあるが、戦略的互恵関係の構築に向け、相互訪問を途絶えさせない関係をつくっていくことが重要だ」

>これは、小泉氏の靖国参拝をめぐり中国側が首脳交流を途絶えさせたことを暗に批判したものだった。安倍氏はその上で、「チベットの人権状況を憂慮している。五輪開催によって、チベットの人権状況がよくなるのだという結果を生み出さなければならない」と指摘した。

>会場には緊張感が走り、出席者はみな一様に黙り込んだが、安倍氏はさらにウイグル問題にも言及した。東大に留学中の平成10年の一時帰国中、国家分裂を扇動したとして中国に逮捕されたトフティ・テュニヤズさんについて「彼の奥さん、家族は日本にいる。無事釈放されることを希望する」と求めたのだ。

 「私はその件は知らないので、正しい法執行が行われているか調べる」

胡主席は、こう返答したが、チベット問題については触れようとしなかった。

安倍氏の発言で生じた気まずい雰囲気を修復しようと動いたのが森氏だった。北京五輪について「中国はメダルをたくさん取る作戦でくるのでしょうね」と水を向け、胡主席の笑顔を引き出した。

            ◇

>朝食会での安倍晋三前首相の発言要旨は次の通り。

 戦略的互恵関係の構築に向け。相互訪問を途絶えさせない関係をつくっていくことが重要だ。国が違えば利益がぶつかることがあるが、お互いの安定的関係が両国に利益をもたらすのが戦略的互恵関係だ。問題があるからこそ、首脳が会わなければならない。

 私が小学生のころに日本で東京五輪があった。そのときの高揚感、世界に認められたという達成感は日本に対する誇りにつながった。中国も今、そういうムードにあるのだろう。その中で、チベットの人権問題について憂慮している。ダライ・ラマ側との対話再開は評価するが、同時に、五輪開催によってチベットの人権状況がよくなったという結果を生み出さなければならない。そうなることを強く望んでいる。

 これはチベットではなくウイグルの件だが、日本の東大に留学していたトフティ・テュニヤズさんが、研究のため中国に一時帰国した際に逮捕され、11年が経過している。彼の奥さん、家族は日本にいる。無事釈放され、日本に帰ってくることを希望する。





あー、極めてまっとうな発言ではないでしょうか(笑)。
どれほどズレた発言したのかと思ったら(苦笑)。これはこのぐらい言って当然でしょう。
「五輪開催によってチベットの人権状況がよくなったという結果を生み出さなければならない」
もーのすごく穏やかな発言じゃないですか(笑)。
まあ周りがあまりに迎合的過ぎるから、何も失うものの無い安倍さんがストレートなこと言いやすかったというのはあるんじゃないでしょうか。今回に関しては「よく出来ました」といったとこですね。これで前線復帰とは到底ならないとは思うけど(苦笑)。


これとは別個に僕は今回の胡錦濤訪問は、日本の常任理事国入りを中国に認めさせるチャンスではないかと思うんですけどね。敗戦国が未だにどこもなしえてない常任理事国入りを果たしてしまえば、もう戦争責任云々を言えなくなるわけだし。あのしっつこい反日教育を止めさせるチャンスでもある(笑)。
どうせ北京五輪全面ボイコットなんて選択肢はないわけだし(笑)。この際一気に中国側からそのぐらいの譲歩を引き出すアコギな外交をやってもバチは当たらないと思いますけどね。



というわけで、おそらく今生きてたら胡錦濤相手にそのぐらいの強引外交は軽くやってのけたであろう大久保利通の130周忌まで後5日であります(笑)。大久保サアならやると思いますよ、実際。
ではではまた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E5%88%A9%E9%80%9A

>(大久保は)官僚的、または絶対権力者のイメージが強く、三年町に西洋風の豪邸を建てた(建築費用は恩賜金と盟友税所篤からの借金で賄ったとされる。後にこの邸はベルギー公使館となった)。しかし、金銭には潔白で私財をなすことをせず、死後は8,000円もの借金が残ったという。政府は協議の結果、大久保が生前に鹿児島県庁に学校費として寄付した8,000円を回収し、さらに8,000円の募金を集めてこの1万6,000円で遺族を養うことにした。