25年前の今日亡くなったこの人について。

この一ヶ月、この人がらみの本をやたら読んでいた。
この四半世紀忘れ去られてきたこの恐るべき人の言葉を、人々はもう一度思い出すべきなのだ。


「どんな鳥だって 想像力より高く飛ぶことは出来ないだろう」

http://www.youtube.com/watch?v=CMa9z18W5zo

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E5%B1%B1%E4%BF%AE%E5%8F%B8


僕が寺山修司の名を知ったのは、ご他聞に漏れず「あしたのジョー」の登場人物・力石徹の葬式を行った人物としてなのだけど、とにかく中学時代はやたらのめり込んで読んでましたね。
「誰か故郷を想はざる」「家出のすすめ」「書を捨てよ町へ出よう」「さかさま世界史」・・・三島由紀夫とはすれ違ったぶん、リアルタイムで接するカリスマとしての寺山修司に憧れ、読みふけっていたのだと思う。
しかし高校時代にはむしろSFの方にのめり込んでいたので(苦笑)、寺山にはまるのは大学に入ってからでいいやと思っていた節があります。
それが大学に入ってやはりSF系のサークルに入り浮かれているうちにいきなり寺山死去の報。何だよ・・・という感じで(ちょうど高校一年の時にジョン・レノンの死に接した時と同じに)取り残されてしまったような気がしたものです。
僕が再度寺山を読みふけるようになったのはむしろ大学を出てから社会に出たばかりの数年間。ダブル村上をのぞけばリアルタイムの日本文学に失望していた時期に、寺山の言葉はやたら新鮮に思え、ビートルズストーンズ、ドアーズの音楽を聴きながらのめり込んで読んでいきましたね。無自覚だった中学時代とは違って、やたら意図的に、意識的に。



今、新潮文庫に入ってる「両手いっぱいの言葉」などを読むと、その才気と哀しみに満ちあふれた言葉の前に呆然と立ち尽くしてしまう思いがする。
中でも僕が好きなのは次の言葉だ。


「美しすぎる童話を愛読した者は、大人になってから、その童話に復讐される」


SFもアニメーションもロックもプロレス・格闘技も・・・青春期に愛したものたちを未だに忘れられない僕らはまさにそれらの童話に復讐されてるのではないだろうか?


今、寺山の死んだ年に近くなって(5年後の30周忌には、寺山の没年=47歳を越えてしまってるんだなあ^^;)、寺山の言葉を読み返すとき、「美しすぎる童話」に取り囲まれたまま老いていく自分を思わずにはいられない。


「いくら虚勢を張っても、人は目覚めずにはその夢から出ることは出来ないのです」


かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰を探しにくる村祭り


人生はただ一問の質問にすぎぬと書けば二月のかもめ



寺山が死んだ時点での女性カリスマ・戸川純が寺山作詞の「二人のことば」を歌ったもの。ニコニコ動画より。


http://www.nicovideo.jp/watch/sm1753881


寺山脚本のTVドラマ「一匹」(62年)を中心に作られたドキュメンタリーの一節。60年代の雰囲気が味わいたければこちら。


http://www.youtube.com/watch?v=7ZP55mf-Bog&feature=related


最後にこれもニコ動。寺山監督の映画「書を捨てよ町に出よう」「田園に死す」に「さよなら絶望先生」の曲を合わせたマッド(笑)。
そういえば大槻ケンヂも寺山チルドレンですよね(笑)。
ではではまた。


http://www.nicovideo.jp/watch/sm2855992


http://www.nicovideo.jp/watch/sm2855808