司馬遼太郎ファンの密かな楽しみ。


えー、これから書くのはあまりに邪道にして変態チックな楽しみ方であって、決して司馬遼太郎フアンの王道の楽しみ方ではありません(笑)。


いや2008年が戊辰戦争140周年に当たるというのは皆様お気づきのこととは思うのですが(でもないか・笑)、こと1868年の5月というのはいろいろなドラマが並行して進んでて面白いところなのですよ。


まずは北陸においては司馬さんが「峠」において描いた越後長岡藩家老の河井継之助
・・・まあこの人そのものがマイナーな人ではあるけれど(苦笑)。江戸城明け渡し後の新政府軍(官軍ではなく西軍ね・笑)と旧幕府軍(賊軍ではない、東軍)の争いにあって、わずか七万四千石の長岡藩を完全武装させ(当時東洋に三門しかなかったガトリング砲(機関銃)を二門まで買い占めたりした)、その天下分け目の争いの中に割って入り武装中立、両者の調停を成し遂げようとした人物であります・・・
彼が新政府軍との会談を小千谷・慈眼寺において行ったのが今日5月2日であります。結局この小千谷会談が不調に終わり、河井は維新史上最も壮絶な北越戦争に藩を投げ込んでしまうことになるわけですが、その運命の分かれ目になったのが今日なのですね。


また同じ頃、江戸においては「花神」で描かれた村田蔵六大村益次郎)が彰義隊討伐のためその戦費調達と江戸を戦火にさらさないための作戦立案に頭を悩ませておりましたし、


その敵側にして名作「燃えよ剣」において不動の人気を得た元新撰組副長・土方歳三は盟友・近藤勇と別れて関東を転戦、いったんは宇都宮城を落としながらもそこをも離れ、日光東照宮に拠って新政府軍に抗戦しながら、近藤斬首の報を受け取った頃でありますし、


その土方とともにかつて京の街を浪士相手に血の雨を降らせた剣士・沖田総司は肺結核に倒れ、江戸の一角・千駄ヶ谷で姉のお光さんに介抱されながら25歳の若い命の火を消しつつあった、そういう時期であります。


それらのことを頭に入れながら、「峠」「花神」「燃えよ剣」を読み比べるのがなかなか楽しいですのですな、これが(笑)。我ながらひねくれた趣味ですが(^^;)。
ちなみに10年後の150周年になるとなかなかこの楽しみが出来なくなるのが、この頃活躍した人物たちが軒並み50歳以下で亡くなっておりまして、自分がその年齢を超えてしまうからであります(苦笑)。年はとりたくないですなあ(苦笑)。


さらにちなみに僕は村田蔵六氏とちょうど140歳違いなので、1868年の蔵六氏と今の僕は同じ43歳(誕生日が来てないので)。31年前の大河ドラマ花神」でその存在を知ったときは中学1年だったことを思えば、往時茫々ですよ・・・(^^;;;)。


ではではまた。