川内康範先生追悼。


以前この日記でもたびたびネタに、もといご登場願った川内康範先生が亡くなられましたね。


近年は森進一との「おふくろさん」騒動ばかりがクローズアップされてきましたが、あらためて偉大なるその業績を振り返っておきたい。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%86%85%E5%BA%B7%E7%AF%84


>海外抑留日本人の帰国運動や戦没者の遺骨引き上げ運動を早くから行った活動家であった。この活動を通じて政財界との関わりを持ち、福田赳夫の秘書を務め鈴木善幸元首相、竹下登元首相のブレーンでもあった。晩年は国民新党顧問を務めていた。


>政治思想的には「民族派」に近いとされていたが一方で日蓮宗の寺に生まれた仏教徒であり、マハトマ・ガンディーの無抵抗主義を高く評価し日本国憲法第9条は護持すべきとしていた。人脈は右派にとどまらず、アナーキストルポライター竹中労とも親交があった。


>1950年代から1960年代にかけて多くの映画の原作脚本を手がける。特に1958年に原作と脚本を手がけたテレビドラマ『月光仮面』は有名で、数多くの子供向け番組の原作や監修を手がける。1970年代の特撮ヒーロードラマ『愛の戦士レインボーマン』や『正義のシンボル コンドールマン』は川内の経歴や思想を色濃く反映した作品とされる。1975年から監修として携わったテレビアニメ『まんが日本昔ばなし』は1994年まで20年弱にわたる長寿番組となった。


>歌謡曲の作詞家としても「誰よりも君を愛す」「君こそわが命」「骨まで愛して」「恍惚のブルース」「花と蝶」「伊勢佐木町ブルース」「おふくろさん」など数々のヒット曲を持つ。


1984年のグリコ・森永事件では、週刊誌上(週刊読売)にて犯人に対し「私財1億2000万円を提供するから、この事件から手をひけ」と呼びかける。このことで事件が収束に向かうことは無かった(犯人は川内の申し出に対し敬意を表しつつも「私は乞食では無い」と拒絶)ものの、大きな話題を呼んだ。


>2007年2月、歌手の森進一に対し今後自作曲の歌唱禁止を通告する会見を開き、所謂「おふくろさん騒動」が勃発。数十年ぶりに時の人となった。この騒動は新聞の社説にまで取り上げられた。年末には薬害肝炎問題の対応に苦慮する福田康夫総理にアドバイスしたとも言われる。


>2008年4月6日午前4時6分、青森県八戸市の病院にて、慢性気管支肺炎の為に死去。享年89(88歳没)。



あの肝炎訴訟問題を解決したのは川内先生の福田首相へのアドバイスが大きかったことなどももっと取り上げられるべきなんじゃないですかね。まさに偉大なる国士でしたよ。



>>「憎むな、殺すな、赦(ゆる)しましょう」
>>みんなが戦争をだんだん忘れていくと思ったから、まず“憎むな”と言った。戦争を起こしたらいかん。人を殺したらいかん。いつまでも憎しみの心を持ったままだとえらいことになる。日本が経済的に発展すればするほど日本民族の純粋な魂というものを失うんじゃないか。憎しみからは何もいいものは生まれない。だから相手を“赦す”ことが必要なんです。これは何も日本人だけに言っていることじゃないんです。万国共通のテーマですからね。日蓮釈尊もキリストも、みな同じことを言っているんだ。真理はひとつなんだよ。


川内先生の談。合掌。