昔はいいことばかりじゃないよ&70年という時代。

交通事故死者 1970年の3分の1 (時事通信社 - 01月02日 12:01)


>昨年1年間の交通事故死者は、前年比609人(9.6%)減の5743人となり、1953年(5544人)以来、54年ぶりに6000人を下回ったことが2日、警察庁のまとめで分かった。過去最悪だった70年の約3分の1で、7年連続の減少。交通事故件数と負傷者も3年連続で減少した。

>年間死者数は、70年に最悪の1万6765人を記録。その後、減少したが、88年に再び1万人を突破し、最近では2001年以降、減少が続いている。 


この記事について「延命治療が進んで、24時間以上経ってからの死亡者が増えただけだ。その数はカウントされてないんだろ」などといういちゃもん付けもあるようですが、しかし即死&24時間以内の死亡の方が圧倒的に多いのは事実ですからね。やはり30数年前よりは交通事情は良くなっているわけでしょう。

交通事故だけでなく、飛行機の墜落事故などもやはり激減してるわけだし、さらには1970年前後と言えば水俣病イタイイタイ病などの公害病も大問題だったわけですよね。

よく「三丁目の夕日」などのブームで「昔は良かった」なんて声が良く聞かれるわけですが、そうかあ?と実際その時代をかすめるように通り過ぎた僕などは思ってしまいます。

今、肝炎訴訟なんかが問題になって首相が全員救済ためらっただけで「鬼」「悪魔」「今日で全てが報われる今日で全てが終わると思っていたのに」「原告の福田衣里子さんかわいい」などと叩かれてあわてて謝罪→救済宣言する羽目になったりするわけですが(笑)、今のご時世に水俣病クラスの公害病が勃発したらどれだけの騒ぎになるんだよ、と思ったりするわけですね。

何事も「昔は良かった」と思ってしまうのは世の常であって。僕は江戸時代の化成期(文化・文政期)の雰囲気などは大好きなんだけど、じゃあその時代に生まれたいかといったら決してそうではない。まあよほどの大店の若旦那にでも生まれ変わるのでない限り、江戸時代に生まれたくはないですよ(笑)。農民の中流以下に生まれたりしたらもう悲惨悲惨(^^;)。

で、ちょっと70年に話を戻すと、この年の大きな出来事として大阪万博開幕と三島由紀夫切腹事件があるわけですが、僕の私見としてはこの二つには密接とまでは言わなくともある程度の関連づけが出来る気がする。

というのは、大阪万博で「世界の国からこんにちは」を歌い国民的歌手であった三波春夫は、実は敗戦直後のシベリア抑留時に共産主義の洗礼を受けガチガチの左翼思想にハマって帰国し(帰国上陸時に「天皇島、上陸!」なんて叫んだという逸話あり・笑)十年くらいは「赤い浪曲師」として現体制批判の歌ばっかり歌ってたという過去があるわけです(笑)。

http://www.tbs.co.jp/news23/onair/taji/s10416.html
http://homepage2.nifty.com/jazooo/2001_04.htm

ところがそんな三波春夫が57年の「チャンチキおけさ」からガラリと芸風を変え、70年の「世界の国からこんにちは」で完全に国民的体制順応歌手となってしまう。彼と思想的にはまったく逆の立場であった三島由紀夫からすれば「なんだそれ」てなことになっちゃうわけですよ(笑)。

おそらく万博の完全ノンポリな平和礼賛は、三島から見れば「思想の時代の終わり」に見えたんだろうなと。そこから彼の一種自殺行為とも言える自衛隊煽動→切腹事件へとつながっていく・・・70年という時代、そして僕らがついついノスタルジーをもって振り返ってしまう高度成長期という時代にはそんな背景があるんだということは心のどっかにとめておいてもいいのかもしれません。


以上、誰が面白がってくれるのかわからんコラムを書いてみました(笑)。
ちなみに70年のもう一つの大きな事件として、かの「よど号ハイジャック事件」というのがありますが、そのよど号事件についてのウイキペデイア記事にこんな記述があります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%88%E3%81%A9%E5%8F%B7%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BA%8B%E4%BB%B6

>犯人グループは出発時に「われわれは明日、羽田を発(た)たんとしている。われわれは如何なる闘争の前にも、これほどまでに自信と勇気と確信が内から湧き上がってきた事を知らない。・・・最後に確認しよう。われわれは明日のジョーである」(原文ママ。正しいタイトルは『あしたのジョー』)という声明文を残している。自分たちを同名の漫画の主人公・矢吹丈になぞらえ、「燃え尽きるまで闘う」と言うことを主張したといわれる。ちなみにテレビアニメ版『あしたのジョー』第一話の放送は1970年4月1日。まさに事件のただ中であった。

まさにゴッドアングル(神の配剤)!! 寺山修司力石徹葬式開催と並んで「あしたのジョー」伝説を作る「われわれは明日のジョーである」声明にはこんな背景があったわけですね。当時の人々がどんな目でアニメ版「ジョー」を注視していたかが分かるというものです。
以上、70年伝説のついでに取り上げてみました(笑)。



最後は70年代を締めくくった怪作映画「ルパン対複製人間」(78)のエンデイング、これまた三波春夫先生の「ルパン音頭」でお別れ致しましょう(笑)。
何だかんだ言って、僕はこの無思想性が大好きであります(笑)。
三島もこの無思想性が分かる頭があれば長生きできたのにねえ(^^;)。
ではではまたー。

♪お〜れ〜は る〜ぱん〜だ〜ぞ〜(笑)


http://www.youtube.com/watch?v=-ogd7O_LbyI