ゴッチについて書き留めておくべき二つのこと。

逝去から3日経った今でも気持ちの整理がつかずにいる。
その昔、75年の猪木対ロビンソンの立会人として初めて「カール・ゴッチ」という名を認識して以来30年以上ゴッチ関連の記事を読みあさってきた一フアンとして、書き留めておかねばならない二つのことを記しておく。



(1)昭和40年代前半(1960年代後半)すでにゴッチ人気は凄まじいものがあったということ。


よく「猪木がゴッチを神格化しなければゴッチはただの隠遁者として世を終わっただろう」というような意見が見られるが、これは必ずしも正しくない。
昭和40年代前半の月刊ゴングのバックナンバーあたりを見れば分かるが、新日本プロレス旗揚げ以前にして既にカール・ゴッチは日本のフアンに熱狂的に支持されていたのである。
昭和43年インターナショナル王者として不動の地位を確立していた馬場に、ゴング編集部(竹内宏介氏?)がいくつかの提言をしており、その中で「基礎体力の更なる向上」「新必殺技の開発」等に加え「ゴッチの技を習得せよ」との項目が見られたりするのだ(立ち技主体の馬場に対してテクニシャンとしての寝技の向上を求めたもの。適切であるかはあえて言わない・苦笑)。当時日本プロレスのコーチとしてゴッチが就任していたからなのだが、ゴッチがこと猪木だけでなく、日プロの選手全員のコーチとして信任を得ていたことが良く分かる。
そして何より、当時のフアンの人気投票であった「ゴング・レーティングス」、このベビーフエイス部門でゴッチは常時3位の位置をキープしていたのだ!! 1位馬場、2位猪木に次ぐ、「3位カール・ゴッチ」ですよ!! 当時いかにゴッチ人気が沸騰していたかが分かるというものだ。「日本に常時滞在し、日本のプロレスラーを応援してくれる良いガイジンさん」ゴッチに昭和40年代の日本人は今からは想像できぬほどの親近感と信頼を置いていたのでしょう。K−1における故アンディ・フグを連想してもらえば近いかもしれない(ちなみにゴング・レーティングスに関しては80年代序盤に出たポケット版ゴングダイジェストでも確認することが出来る。こんなの→http://www.a123z.com/proresu.html
新日本旗揚げ時「猪木がゴッチを神格化した」というのは無論半分は当たっているが、半分は正しくない。半分は「すでに人気のあったゴッチを猪木が利用した」のだ、明らかに。



(2)決して「妥協のないレスラー」ではなかったということ。


良くゴッチの追悼記事(その以前からだが)で「その妥協のないファイトぶりにより米国のプロモーターに嫌われ云々」という記事があるのだけど、これは果たして正しいだろうか? むしろゴッチさんがこれを聞いたら「冗談じゃない、俺ほど妥協してたレスラーがいるか」と苦笑するのではなかろうか。
現在ではユーチューブでそのファイトぶりが確認出来るので、見てみれば良い。
http://www.youtube.com/watch?v=QiwiAss5mic
http://www.youtube.com/watch?v=KpbWyd1WgC4
http://www.youtube.com/watch?v=Qb9Bafas_AE
これ以外にもテーズと組んで猪木・坂口組と戦った世界最強タッグ戦や、藤原組長とのエキシビジョン等も見ているが、いずれもオーバーアクション気味のテクニック披露という観が強い。
相手の両手をフインガーロック気味にとっておいて右足で相手の左手を蹴り、左足で右手を蹴りしてから、くるりと相手の左手をとったまま一回転して攪乱しておいて、左足にタックルしテイクダウンする(文章にすると難しいね^^;)とか、
相手にヘッドシザースにとられた際、わざわざ倒立して(!)相手の両膝を上から押し抜け出す(後に佐山タイガーが倒立した後ななめに飛び回りながら抜け出す、という進化形を見せた)とか、
勝負に徹するなら何でそんなムーブをせねばならんか、と思えるような動きが多いのですね、実は(苦笑)。
これはもう、プロとしてのゴッチさんの売りが他になかったからだとしかいいようがない。テクニックに裏付けられた動きで相手を攪乱するとともにお客さんを楽しませる、というのがゴッチさんのプロとしてのムーブ、だったのでしょう。
そしてそういう動きは実はゴッチさんの愛弟子・藤原組長のムーブによく似ている。そう、実は藤原組長こそがゴッチさんの進化形だったのだ(厳密にはゴッチさんのムーブに足関節のバリエーションを広げ、頭突きを加えたのが藤原組長のファイトスタイルである)。これは84年4月の第一次UWF旗揚げシリーズ最終戦前田日明シングルマッチを行った際の藤原の動きを見て「カール・ゴッチそっくりだ!」と何人もの記者が感嘆したところからも知れると思う。
そして藤原のスタイルを「妥協なきファイトぶり」と言わず、「技術に裏付けられたショーマン」であるというのなら、ゴッチさんのスタイルにもその言葉が当てはまるのではないかと思われる(現にゴッチさんの初来日時に菊地孝氏が記者メモに記した言葉が「技術の高さは分かるがあまりにショーマンではないか」であったという逸話があったりもする)。
これは決してゴッチさんを貶めるものではなく、50年代、60年代のプロレス界で生き抜いていくためのゴッチさんの労苦と、そしてその中でも自分の技術を後世に残していったその功績をこそ讃えたいと思うがゆえである。


自分の意に沿わぬプロレス界にあって必死に生き抜き、そして先人から受け継いだ技術と魂を確かに後世に残して去っていったカール・ゴッチよ、安らかに眠れ。


まるでガス燈時代のレスラーがタイムスリップしてきたがごとき下のゴッチさんのトレーニング風景を見ると、僕は今も涙が出そうになる。


http://www.youtube.com/watch?v=CreCOrf9ExM