川上慶子さんのこと。

お名前を見て「ああ、あの・・・・」と瞬時に思い出す人も徐々に少なくなってるんでしょうか。あの85年8月520人が亡くなった日航機事故で生き残った当時12歳のあの人です。


彼女はうちの愚妻(と書くと女子の方々から怒られるんでしょうか。ちなみにこの場合「愚」とは「私」の意であって、「私の妻」の意味ですからご了承を^^;)の高校時代の同級生なのですよ。同じテニス部に入っていて、集合写真も一緒に撮っているという。「どう見ても慶子ちゃんの方が美人だよな」と余計なことを言って殴られるわけですが(苦笑)。
彼女はあの事故の後、全くマスコミにコメントを出すことなく一文字の手記も出すことはありませんでした。当時は(恐ろしいことに)彼女を芸能界に引っ張り出して「空から降りてきた少女」などというキャッチコピーをつけて売り出そうとする輩までいたというのに!(←マジな話ですよ。「気○いじみてる」という良くない言葉はこういうときに使うのだと思う・怒)
彼女の毅然とした態度について、評論家の故・山本夏彦氏は「実に聡明な少女だ。世間は女衒(ぜげん)だと知っていたからであろう」と述べてますが、まさに至言ですね。周囲も彼女に気を配り、うちの妻は教育実習生から「慶子ちゃんには事故のことについて触れないように、と教頭から念押しされたんだよなあ」と漏らされたとか(そういうことを漏らす実習生もどうかと思うが・苦笑)。


とここまで読んで、
「今日は阪神大震災から12年の日のはず。ひょっとして馬鹿ふるきちは阪神大震災の日と日航機事故の日を間違えてはしないか?」
と思われた方もおられるかも。
いたのですよ。あの日、神戸に、彼女は。
全く何と神はひどいことをするのかと思いますね。一人の女性に85年と95年、戦後の二大災厄に立ち会わせるとは!!!
彼女は看護士として神戸に赴任しており、あの大災害の中で実にかいがいしく働いたんだとか。そしてそれから7年半の後、アメリカの地で知り合った男性と結婚して、今は子供にも恵まれ幸せに暮らしているとのこと。


あの2大災害で亡くなった合計7000人近くの人々の冥福を祈ると同時に、彼女の後半生の幸福を祈らずにはいられません。彼女の同級生に日々どつかれながら(^^;)。




BGMは85年の事故で亡くなったあの人の日本人唯一ビルボード1位の名曲から。結局、当時のオールデイーズ(という言い方も変ですが)の名曲群と比べてもまったくひけをとらない名曲だから、向こうでもヒットしたんでしょうなあ。聴き直してつくづくそう思います。


http://www.youtube.com/watch?v=RtXQ31F1A-k