【番外編2】 『ノルウェイの森』と『Bバージン』etc

こんにちは。silvyです。フルキチ氏が出張中ということで、こっそりと番外編2を書かせて頂きます。

フルキチ氏の日記中に『ノルウェイの森』やドラマ「電車男」などが登場していましたが、これに関係する私なりのサブカルを論じてみたいと思います。
例のごとく駄文(内容間違いや勘違いもあると思うので、そのフォローはミヤ氏とフルキチ氏にお願いします)ですので、皆さんスルーしてもらって結構です。

さて、おたくが恋を成就させる「電車男」。フルキチ氏はドラマを酷評しておりましたが、私は結構好印象を抱きました。夏クールでは、「女王の教室」同様私は評価しています。
(期待外れだったのは、「幸せになりたい!」。松下由樹ファンの私としては良かったけど、脚本に無理があること、深田恭子のわざとらしい演技が失敗の原因だと思っています)

電車男」を見てすぐに思い起こしたのは、ドラマ「101回目のプロポーズ」と『ノルウェイの森』です。80年代後半から90年代はじめにかけてのバブル期に大学時代を送った私は本当に最悪の生活をしていたと思います。大学での入学金や授業料の高騰、家賃はワンルームでも軽く8万円を超える状況は、奨学金を借りて生活をしていた私に極貧生活を余儀なくさせていたわけです。家賃1万2千円の部屋は四畳半で、トイレ(ぽっちゃんトイレ)と風呂は共用。新聞社、警備員、ラーメン屋、風俗店などの数多くのバイトをしながら、なんとか生活を送ることができた次第です。

ドラマ「101回目のプロポーズ」や小説「ノルウェイの森」はそうしたバブルの象徴としてよく取り上げられていますが、私にとっては苦痛の時代であったために、バブルの象徴として嫌悪し、決して見ることはありませんでした。そして、その時代にとっての私のバイブルは『Bバージン』という漫画だったのです。1991年に山田玲司によって『ヤングサンデー』に掲載されたこの作品は、住田秋という主人公が、バブルという表層面に合わせた生活から、動物オタクである「本当の自分」に合った生活へと変貌していく物語です。好きな女性のために童貞を守り、自分本来の姿を現すことの迷いやとまどいといった心理描写を切実に描き出しています。
101回目のプロポーズ」はもてない男性が懸命に努力して好きな女性に認めてもらう、という内容でしたが、「本来の確固たる自分」を持っていない武田鉄也の役は、私にはしらじらしさを感じさせざるをえませんでしたし、『ノルウェイの森』に至っては、表紙の話題性(おしゃれ、とか、プレゼントに最適など)としての流行に対する反発が大きかったといえます。「読書ってそんなものなのか?」という疑問感を抱かせた同作品は大嫌いでした(今思えば喰わず嫌いですけどね)。

その中で、「本当の中身や真実」を、葛藤を抱えながら解決していこうとする『Bバージン』の住田秋の姿は、将に僕のヒーローでした。アニマルおたくである彼は、結局水族館に勤め、最後はマダガスカルという地に追いやられますが、自分の信念を実現させた彼に、同じく心に傷をかかえていた彼女はついていく、というラストで私は何度も泣いたものです。
前回書いたように村上春樹の「スマートさ」というのは、私にとって「偽善」、ひいては自分の生き方に無理を強いているように感じたわけです。
むろん、村上春樹も人間内の複雑な心理描写を描いており、「恋愛のため」という心理描写が主となる『Bバージン』とは比較できないと言われるかも知れません。しかし、恋愛という誰もが経験を持つ心理に対する村上春樹の描かれ方は、それが村上春樹の特長としてあげられる反面、あまりにもあっさりしすぎているための浅薄さを感じてしまう。はっきり言えば「苦しみ」が感じられないのです。
もてない男』の著者である小谷野敦村上春樹が好きではないようですが、それは村上春樹の文体が好きか嫌いかという問題とともに、村上春樹の「スマートさ」というものに対する小谷野敦の嫌悪感があるのではないかと私は思っています。ひねくれた見方かもしれませんけどね・・・。

無論今では『ノルウェイの森』を私は評価していますよ。それでも、前述したように、バブル期の最高の書を挙げるとすれば『Bバージン』と言うでしょう。
そして、なぜ今回そうした話題を挙げるかと問われれば、私が「恋愛の痛み」を今味わっていると個人的なオチがあるからです。
というわけで、またまたつまらぬお話をしてしまいました。これにて終了させて頂きます。