番外編by silvy

はじめまして。silvyです。みや氏やフルキチ氏ほど教養もないので、村上春樹サブカルについて論じる技量もないのですが、番外編ということで軽く読み流して頂ければ幸いです。

さて、私は先週1週間ほどタイへと旅行しました。岡山空港発、ソウル経由バンコク行きの大韓航空を利用したのですが、飛行時間やソウル滞在時間で18時間近くの暇をもてあますのももったいない、ということで、『風の歌を聴け』をブックオフで買い読了してまいりました。
私が印象に残ったのは以下の文でした。


「つまり我々は時の間を彷徨っているわけさ。宇宙の創生から死までをね。だから我々には生もなければ死もない。風だ。」
「ひとつ質問してもいいかい?」
「喜んで。」
「君は何を学んだ?」


この言葉の虚無性は、タイの現状を見るにつけ、大きく心に残ってまいりました。
というのは、たかだか120円を稼ぐためにトゥクトゥクを半日走らせるドライバー、日本では決して見られないバラックの貧困街、その一方で6000円を出してムエタイを観戦する外国人や1日12000円を稼ぐ売春婦たち。
真剣に「シホンシュギノムジュン」というやつを感じてきました(ところで、フルキチ氏、日本人のムエタイ選手でなんとかジョーというのがいるのを知ってる?TKOで負けたけど、戦いぶりがかっこよくて負けても西洋人から拍手を受けていたよ。あとムエタイって、賭博なんだね、知らなかった)。

以前の日記で、「東京奇譚」などの地名の話題が出ていましたが、村上春樹氏の作品で「東南アジア」の都市が出てきたものってあるのかな?「ねじまき鳥クロニクル」では中国が出てくるけど、日本、中国以外のアジアが舞台となってるのはないのではないのではないでしょうか。

村上氏の作中人物および村上氏自身が「スマート」なライフスタイルを送っていることは明白です。そしてそのスマートさというのは、「西洋」とひどく結びついているように思えます。アメリカによく滞在されているし、オーストラリアやイギリスなどへも行かれていることは皆さんご存じでしょう。
でも、東南アジアなどへ行ったことがあるということは聞いていません。東南アジアというと、「雑多」というイメージもあり、前述の「スマート」には結びつきません。ゆえに、東南アジアは作中の舞台にはならないのかとも思います。
村上氏は、こうした東南アジアの現状や雑多性について率直にどう思っているのか、聞いてみたいものです(単純に好きか嫌いか、ということや、意図的に避けているのか、ということも知りたい)。

実はタイでも「風の歌を聴け」が翻訳出版されています。同様に韓国や中国でも翻訳され、日本人作家としては結構評判は良いと聞きます。「けだるさ」「雑多」「いいかげん」という、村上氏や作品からの「スマート」からかけ離れたタイをはじめとするアジアの人に、どのように捉えられているのか、ということも興味があるところです。

そして、もし可能なら、村上氏にタイやベトナムなどへも旅行してもらい、その国を舞台とした作品を書いてほしいものです。
それは、「海辺のカフカ」、「アフターダーク」などで感じた村上ワールドの「行き詰まり」(適切な表現ができません。ただ、これらの作品には私は失望を覚えています)を打開することになるのでは、という期待が私にはあるからです。

以上「雑多」な文章ですみませんでした。