柳澤健「1984年のUWF」で行われている意図的な時間的情報操作について。

どうも、日本で最も「1984年のUWF」という文字をツイッターで連発している男、ふるきちです(笑)。


Numberの売り上げと先々の単行本宣伝に協力してるつもりですが、柳澤健さんが抗議してこられたら、即座に謝罪する用意があります!! 消さんけど(笑)。


後はとにかく駄文連発ツイートの通り。以下、乱筆乱文お許しあれ。



>Number連載「1984年のUWF」、改めて考えるに「前田らは佐山のアイデアをパクって世間的成功を収めた」と言い立てるため、思い切り時間的情報操作を行っているのだなあと……はっきり言ってしまえば「第一次UWFと第二次UWF時代の間にある新日本提携時代を思い切り端折った」


>んである。なぜか。「1984年のUWF」においては「前田らの成功は佐山理念をパクったからだ」というのを徹底させたいがためである。しかし実際にはそうではない。前田UWFの成功は、その再旗揚げの前時点で「弱小UWFを率いて強大な新日本プロレスに立ち向かい、アンドレ戦や


>ニールセン戦を乗り切った前田日明」というのがファンの間に刷り込まれていて、それが新生Uの大いなる助走となったわけで。ところが「1984年のUWF」ではそのあたりを故意に過小評価しているのだ。その証拠に第1次U84・85年の2年間については第6回「ユニバーサル」から


>第16回「訣別」に至るまで実に11回を費やしている。ところが前田の名勝負が積み重ねられた新日本提携時代86・87年の2年間については何と第17回「新・格闘王」1回のみでしか描かれてないのだ(!)。アンドレ戦も藤波戦もニールセン戦も長州蹴撃事件も全部たった1回に押し込めた


>のである。なぜそんな操作がなされねばならなかったのか?答えはハッキリしている。無視したかったからである。邪魔に思えたからである。「前田らの成功は佐山理念のパクリによるもの」という「1984年のUWF」の論旨には、「1986年の前田日明」のリング内外での戦いと人気浮上は


>きわめて不都合なものでしかなかったのだ。そうとしか思えないんである……しかし実際には佐山の編み出したUスタイルそのものが大衆に受け入れられたのではない。それは皮肉にも、今回の第21回「クリス・ドールマン」のラストで描かれている「(89年5月大阪大会において)数千枚の


>招待券がばらまかれていた」……これ自体が「佐山理念の限界」を示しているではないか、皮肉なことに。第2次Uのブレイクはその前段階での前田人気の急騰が背景にあったのであって、それが落ち着いてしまえば必然的にU人気も落ち着く運命にあったのである。決して佐山理念をパクったため


>ではなかったであろう(ちなみに今回第21回において「1か月に1度、大都市のみで興行を行うというやり方も、すべてユニバーサルの時に佐山が考え出したものだ」と書いているのは明らかに柳澤氏の誤認。第1次Uは「3週間に5試合」が最終形態だったのであって、「1か月に1回」は


>神社長ら第2次Uスタッフが生み出したもの)。あまりにも現時点での「1984年のUWF」は「まずU批判ありき」が前提でありすぎる(もちろんそこには第2次Uでの前田の練習不足指摘など、見るべきものもあるのだが)。その中でまたターザン山本が「(Uのレスラーは)金と女にしか


>興味がなかった」などと論拠不足のディスりを繰り返すのだから何ともはや(苦笑)。G馬場・田中八郎・大仁田らから裏金をもらって誌面に反映させただの、20人以上の女性のヒモになっているだのウィキに書かれているターザンが何を言うのかとも(苦笑)。しかし、以前の著作からすでに


>ターザンの影響がうかがえる柳澤論調において、今後がどう描かれていくのか。そしてその論調を、おそらくは「こんな論調とは思わなかった」であろう仲野信市上井文彦・更級四郎ら前半部での協力者はどう思うのか…「1984年のUWF」の連載は年内いっぱい続くと言われている…(この項了



えー、繰り返しますが、謝罪はなんぼでもします(笑)、消しませんが(^^;)。

ではではまた。