3つの2・26。

まあ一つは言わずと知れた「2.26事件」(ワタシは「にいてんにいろく」と発言してしまいますが、一般には「にいにいろく」みたいですね)から75周年。

http://www.youtube.com/watch?v=CbRYmwvvkrE

ちなみにこの時、今のワタシと同い年だった石原莞爾が鎮圧にあたってるのですね。満州事変の首謀者だったヒトですが。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E8%8E%9E%E7%88%BE

昭和11年(1936年)の二・二六事件の際、石原は参謀本部作戦課長だったが、戒厳司令部参謀兼務で反乱軍の鎮圧の先頭にたった。この時の石原の態度について昭和天皇は「一体石原といふ人間はどんな人間なのか、よく分からない、満洲事件の張本人であり乍(なが)らこの時の態度は正当なものであった」と述懐している。 この時、殆どの軍中枢部の将校は反乱軍に阻止されて登庁出来なかったが、統制派にも皇道派にも属さず、自称「満州派」の石原は反乱軍から見て敵か味方か判らなかったため登庁することができた。安藤輝三大尉は部下に銃を構えさせて登庁を阻止しようとしたが、石原は逆に「陛下の軍隊を私するな! この石原を殺したければ直接貴様の手で殺せ」と怒鳴りつけ参謀本部に入った。また、庁内においても、栗原安秀中尉にピストルを突きつけられるものの事なきを得ている。



まあ石原莞爾満州事変起こしながら、それ以上の戦線拡大には反対だった人なので、彼の中では矛盾はなかったのでしょうね。


矛盾と言えばこちらの方がよっぽど矛盾(笑)。


>戦後は東亜連盟を指導しながらマッカーサートルーマンらを批判。また、戦前の主張の日米間で行われるとした「最終戦争論」を修正し、日本は日本国憲法第9条を武器として身に寸鉄を帯びず、米ソ間の争いを阻止し、最終戦争なしに世界が一つとなるべきだと主張した。


まさに史上最強レベルの手の平返し(笑)。


読むのが中断してしまってる「虹色のトロツキー」(安彦良和)をまた読んでみたくなりました。石原莞爾が重要な人物として出てくるので。


ちなみにリンク先には東条英機の暗殺に賛同し、そのために柔道家牛島辰熊木村政彦を鉄砲玉に使うところだったなどと書いてあります。ひええ(^^;;;)。





最初のが長くなってしまいましたが、2番目の「2・26」はサザンオールスターズ桑田佳祐の55歳の誕生日。

http://www.youtube.com/watch?v=rI_pcHbjES4


♪2月26日にはささやかな 二人の絆


この「素顔で躍らせて」がもう30年前の曲なんだなあ・・・・。





そして3つ目は11年前、田村潔司ヘンゾ・グレイシーを破った日。
Uのテーマを使った、伝説の入場でしたなあ・・・。


http://www.youtube.com/watch?v=exQKX45hTH8



まあ何だかんだ言って、どんなに無能で叩かれる首相でも暗殺されず(笑)、名曲に聴きほれ、格闘技に熱くなれる時代は幸福なのでしょうねえ・・・・・。

ではではまた。