某試合の裁定変更はほっといて、あの名レスラーを讃える。

まあ世間の格闘技フアンの多くは三崎対秋山戦の裁定変更(三崎KO勝ち→ノーコンテストへ)についてあれこれ論議してるみたいですが、正直あんま興味ありません。
まああえていうならば3週間も経ってから裁定を変更するというのがそもそも裁定の権威に関わるんじゃないかなあと。うがった見方をすれば、大連立の中でこれからの道筋を相談するのに3週間掛けて今頃固まったから、変更発表したんじゃないかと。
「やれんのか」側は「単発のイベントだから再戦は約束しない」としてるけど、ここは谷川さんがヒールになって再戦をゴリ押しして旧プライドフアンをヒートさせるつもりじゃないのか(苦笑)。だとしたら相当あざといっていうかね(笑)。


しかし今日はずーーーっと前からこのレスラーのことを書かねばと思ってたので予定どおり書かせていただきますよ。
プロレス&格闘技フアンの皆さん、30年前の今日、何が起こったかを覚えて&知ってますか。1978年のこの日1月23日は、雪のマジソン・スクエア・ガーデンで藤波辰己がカルロス・ホセ・エストラーダを破ってWWWF(スリーダブリュエフ)ジュニアヘビー級王座を奪った日なのですよ!!! 誰も言わないから俺が言う(笑)。

74年の猪木対大木戦でプロレスフアンになったワタシとしては、76年の猪木対アリ戦の結果というのは結構ショックで(やっぱ小学生には「寝たっきり」ってのは理解できんかった・苦笑)、プロレスしばらく見るのやめたくらいでしたよ!! 1ヶ月くらいだけど(苦笑)。しかしその傷を癒してくれたのが鶴田対マスカラス戦であり、猪木対モンスターマン戦であり、そして藤波辰っつあんの凱旋帰国であったわけです。

中学になると、やっぱプロレスのいい加減な面が見えてきますからね。なんでロープに飛ばして返ってくるのかとか、なんでトップロープからの攻撃を寝ころんで待ってるのかとか、なんでタイガージェットシンはサーベルのツバでしか攻撃しないのかとか(笑)。高校に入ると村松友視さんの「私、プロレスの味方です」で理論武装しちゃうけど(笑)、中学ではまだそこまではいかない。そこで辰っつあんの鮮やかなドラゴン殺法(という言い方してましたね・笑)が非常に心強かったんですよ。「だってかっこいいじゃん!」バカ中学生にこれ以上の決め文句はないですよ(笑)。

猪木から初代タイガーの間に辰っつあんの存在がなかったら、僕はプロレスフアンを辞めてたかもしれない。いや辞めなくともこれほどのテンションでは維持できなかっただろう。そう思えば感謝に堪えない存在であるわけですよ。


だがしかーし!!(大声で)辰っつあんほど踏みつけにされてたプロレス人生もないですよ。ジュニアヘビーを盛り上げたのは結局初代タイガーの活躍舞台を作ってやったようなもんだし、ヘビー転向後は長州の踏み台にされるし、前田にはボコボコにされるし、飛龍革命(苦笑)立ち上げても闘魂三銃士にいいとこ持ってかれるし、斜陽の新日本押しつけられては「こんにゃく社長」とか叩かれるし(誰がやったって無理なんだよあんなの)、しまいには自団体からも選手逃げ出されて無茶苦茶けなされるし、ろくなもんじゃねえ(爆)。

でもなあ、やっぱ20世紀の藤波辰己、特に70年代末から80年代の辰っつあんを知る者からすれば、無下にその功績を忘れて貰うのもどうなんだと。あれほど対戦相手を光らせる人はいなかったよ!!剛竜馬も阿修羅原も木村健吾でさえ辰つあんと試合したら素晴らしい選手に思えたものだ(苦笑)。何より先週の週刊プロレスでリック・フレアー様が「一番アメリカン・プロレスを理解してたのはフジナミ」と言ってたのが嬉しいことじゃありませんか!! 恩知らずの後輩・フアンなどはほっといて、プロレス人生を幸せに全うしてほしいと思うものであります。


したがって、この日記は怪曲「マッチョドラゴン」なんかじゃ終わりませんよ(おいておくけど・笑→http://www.youtube.com/watch?v=bGT3EdTuBco)。
やっぱここはあの「ドラゴン・スープレックス」で締めたいものです!!

ちゃーちゃ、ちゃーらーちゃ、ちゃらちゃーちゃちゃーらーちゃ、ちゃらちゃーちゃ、ちゃーらっちゃ、ちゃらんちゃん!!!
ちゃんちゃちゃっちゃーん、ちゃんらちゃらんちゃちゃちゃーん・・・・


・・・・・考えてみればこれも間が抜けた曲だなあ(^^;;;;)。