J・Jになりたい。
JJになりたいってエビちゃんとか押切もえちゃんになりたいってわけじゃないですよ(当たり前だ・笑。ちなみに未だにエビちゃんともえちゃんの区別がつきません^^;)。
J・Jといえば60・70年代のサブカル好きにとってはまさにカリスマ的存在・植草甚一氏のこと。その昔、ワタシもさんざんっぱら憧れたものです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E8%8D%89%E7%94%9A%E4%B8%80
http://www.utrecht.jp/person/?p=256
http://www.geocities.jp/jjdict1/index2.html#hp
>1908年、東京・日本橋の小網町。下町の木綿問屋の一人息子として生まれる。早稲田大学建築学科中退(学費未納のため)その後、東宝サラリーマン時代を経て、「ハヤカワポケットミステリー」編集や翻訳、「キネマ旬報」「映画之友」「スクリーン」など映画雑誌などで執筆を行う。「ワンダーランド」後の「宝島」などでは、責任編集を務めた。古本、映画、jazz、ミステリー、ファッション、ポップアート、散歩など…その気取らないスタイルが出来たのは40代に入ってから。銀座、新宿、渋谷、青山、神保町、ニューヨークなど、これが散歩好きで買い物好きのJJコース。好きな食べ物は、ベーコン、やつがしら、カルゾーネで、嫌いなのが光り物、生臭いもの、ピーマンだとか。好きなタバコはキャメルとラーク。蔵書は4万冊に及び、その量は古書店3件分。また大量のjazzレコードコレクションは、氏の形見分けとして現在タモリが所有しているそう。1979年、心筋梗塞の発作により永眠。
いやはや好き放題生きた人であって、こんな風に生きたいなあとつくづく思ってたものです。まあ無理でございましたけどね、到底。
そのJ・J様について、ミセス・ピチカート長谷部千彩氏が書いていらしたので、こちらを。
http://d.hatena.ne.jp/readymade_hsb/20071028#p1
>何を隠そう、私は熱狂的なJ・J氏のファン・・・ではありません。嫌いかというとそうとも言い切れないんだけど。なんていうのかな、この人を見ていると複雑な気分になるのだ。
>だって、植草甚一って、配偶者としては丁重にお断りしたいタイプじゃないですか。毎日ブラブラ散歩して買い物して亭主然と威張られても困るもん。自分の趣味につぎ込んで、嫁に全然お金を残しておいてくれなかったなんていうエピソードも、ダンナとしてはほとんど駄目な部類に入ると思うし。それに、取り巻きの多い男って、まわりから無責任にチヤホヤされているから、手に負えないというか、家庭運営に非協力的で嫁にとっては扱いにくい存在だと思うのです。しかも、J・J、セックスアピール、ゼロだしなあ・・・
>って、かなりボロカスこき下ろしていますけど、これが友達や親戚のおじさんだったら、と想像すると、絶対に面白いと思う!遊んで暮らしてるみたいで、ナイス甚一、最高!というか、自分がJ・Jになりたいよ!植草甚一って、つまりオタクの成功者だと思うのです。だから、男のひとがJ・Jを好きだという気持ちはわかるし、大好きというよりもJ・Jになりたいんだろうな、と思うし、だけど、嫁の立場で聞く、男性の甚一礼賛ほど、しらけた気持ちにさせられるものはなく、もう、J・Jを前にすると、私の心は千々に乱れて困ってしまう。
・・・・・・うーんまあそうですわねえ(苦笑)。というかJ・J氏が圧倒的にエゴイスティックな人だったから、そういう生活が成り立つのであって、嫁に(というか女性全般に)圧倒的に弱い自分にそんな生活が出来るわけないのですね。これがワタシが完全無欠なオタクになりきれない所以でございます、ハイ。
しかしまあどっかから抑えつけてもらってるから自分の実生活が成り立ってるんであろうし、圧制者の(笑)目をかいくぐって行うシュミほど楽しいものもないわけですから(ああ、勉強で抑えつけられながらサザンやYMOやうる星やつらやプロレスにハマってた高校時代と変わらないなあ^^;)、意外と今の生活はワタシに合っているのではと思う次第でございます(苦笑)。
それもしかし仕事していての話ですからね。今日もこれから体育の授業でケガした生徒の見舞いに行かねばならんのです。担任が出張のため、副担任のワタシが拝命いたしましたよ。指のケガではありますが、月曜日に手術せねばならないみたいですのでね。丁重にお見舞いせねば。
ちなみにこういうときにワタシの頭の中に浮かぶハードボイルドのセリフ。高名な探偵フイリップ・マーロウのそれですね、ハイ。
「10月の半ば、朝の11時頃だった。日は射さず、強い雨が来るら
しく丘がくっきりと見えた。私はパウダー・ブルーの服に、濃紺の
ワイシャツ、ネクタイ、飾りハンカチ,黒いゴルフ靴、濃紺の刺繍
入りの黒いウールの靴下をつけていた。ひげもそり、こざっぱりし
て、くそまじめな顔つきだった。誰に知られようとかまうことはな
い。どこから見ても身だしなみのいい私立探偵のピカ一だ。なにし
ろ400万ドルを訪問するのだ。」
(『大いなる眠り』レイモンド・チャンドラー)
こういうセリフがぱっと浮かんでしまうところがJ・J病重症患者の最たるものでありますね、まさに病膏肓(こうこう)にいたる、であります。やれやれ(←これは村上春樹調・笑)。ではではまた。
PS J・J氏は心臓発作で亡くなりましたが、同じく心臓発作で入院していた往年の名プロレスラー、ニック・ボックウインクル氏が生還!!
http://miruhon.net/news/2007/11/post_116.html