もし僕があの殺人犯の弁護士なら。

光市母子殺害 改めて死刑主張
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071018-00000064-jij-soci


本当はこの裁判、死刑は免れたはずなのだ。
二人を殺したとはいえ、被告は犯行時未成年であり、その時の未熟さを自ら認め、真摯に謝罪したならば、だが。


僕がこの被告の弁護士ならば、般若心経の300万字も写経させ、二日に一度は僧侶に面会させて法話の数時間も聞かせ、さらには原告の元で土下座して謝罪させる。そして「生きて一生謝罪に努めたい。無期懲役にしていただけるならば一切仮釈放は求めない。一生獄中で奥様とお子様のご冥福を祈り謝罪の日々を送りたい」と誓わせる。後は少年法を盾に正面突破を図れば決して極刑は免れられない話ではなかったのだ。


それをすべて台無しにしたのはひとえに本人の無反省と怠惰、そしてこの裁判の場を死刑廃止運動の主張の場にしてしまった恥知らずな弁護団のなせる業である。「ドラえもんが何とかしてくれると思った」「姦淫は生き返らせるため」とほざき、検察を「なめないでいただきたい」とにらみつける被告のどこに反省の意を認めろというのか。そしてそんな法廷戦術とも言えない代物を被告に吹き込んだ弁護団は、本当に被告を救うつもりがあったのかさえ疑わしくなってくる。


弁護団の中の一人で、ここまでいかに被告とコミュニケーションをとって頑張ってきたかを涙ながらに訴えた弁護士が昨日一方的に解任されたという。今思えば、あの涙は泣き落としと言うよりも、
「コミュニケーションなど取りようもないほど歪んだ心をもった被告と、いかにコミュニケーションをとろうと頑張ってきたか」
を訴えた涙ではなかったか。いや冗談ではなく。


繰り返し言うが、あれは法廷戦術と言えるものではない。単なる小細工であり、茶番でしかない。
法廷における真の「戦術」とは、いかに相手に誠実さを分かってもらえるか、の努力だと僕は思う。その誠実ささえない人間は自ら撒いた種によって滅ぶしかない。


被告に対してかける言葉は、今はただ「震えて眠れ」しかない。
もっとも震えるほどの感受性も彼は持ち合わせてないかもしれないが・・・。



今日はついつい修正の効かないほどマジな内容になっちまいました。すみません。
ではではまた。