改めてZARD坂井泉水嬢を悼む。


何だか色々複雑な感情があってうまく文章に出来るかどうか不安なのですが。


正直いって、僕はZARDの良いフアンであるとは到底言えません。
むしろアンチであったぐらいで。ZARDの楽曲はあまりにも無色透明な印象があり、何か殺菌され抗菌加工された商品のような気がしてどうにものめりこめなかった人間なのですね、僕は(いうまでもなく、これは偏見です。どうぞ聞き流してやって下さい^^;)。
とにかくビーイング系の音楽(WANDSとかT−BOLANとかですね・苦笑)に反感を抱いていた僕にとっては、ZARDってのはあまりにも自分から遠い存在のように思っていたわけであります。
ところが、そんな心境に変化が生じたのが、平松愛理という存在であって。平松愛理というのはあの「部屋とYシャツと私」以来どうにも肌の合わないミュージシャンという認識しかなかったわけでありますが(苦笑)、しかしそんな彼女が子宮内膜症という病気を患いながらそれを克服したいきさつを知るにつけ、当たり前の話なのですが、
「どんな人間にもその人間その人間の人生があるのだ」
と言うことに気づかされたわけです。
(いやホント当たり前の話ですけどね^^;)

で、ZARD坂井泉水嬢に話を戻すと、僕らは彼女の肉声というものにほとんど触れたことがないということに改めて愕然とさせられるわけです。
何か事務所が作った「ZARD」という虚像をずうっと演じ続けてきた、そんな印象が凄くしてしまうわけですよ。
彼女が今の自分のポジションにどんな考えを持っているのか、これまでの自分に、そしてこれからの自分にどんな印象・展望をもっているのか一度も彼女自身の肉声で語ったことはなかった、そんな気がしてならない。
そして「ZARD」を演じながらそのまま自分の口で何も語ることなくこの世を去ってしまった・・・何というはかなさ。

彼女は自分と「ZARD坂井泉水」の間にどんなギャップを感じていたのか、それを少しも明かすことなくこの世を去っていったことに、「それでいいんですか?」と僕は問いかけたい気持ちでいっぱいなんですよ。
あるいは今後、彼女の実像について暴露話みたいなことも出てくるのかもしれない。普通なら「そんな話は聞きたくない」と思うものですが、彼女の場合、それがあった方がむしろ救われる気がする。
誰にも愚痴をもらすことなく「ZARD」を演じきったまま、それが演じきれなくなると同時に何も言わずにこの世を去っていった・・・それじゃあまりにも哀しすぎるじゃないですか。


あるいはZARDのフアンの方には気に障る文章かもしれませんが、これが僕の正直な気持なのです。
改めて坂井泉水嬢のご冥福を心からお祈りします。合掌。






PS・ヴァンダレイ・シウバもUFCへ、だってさ!!(やけくそ)

http://sadironman.seesaa.net/article/43187789.html#more

なーにが「その計画は変わりました」だか!! 最初からそのつもりだったんだろうに、ダナ・ホワイト
なんだか「家まで送らせてよ」→「ちょっと上がらせてお茶飲ませて」→「いいだろ」てな得意技フルコースのナンパ師みたいだなあ(下世話すぎですみません^^;)。