「萌え」文化と高橋留美子

どうも、本業ではセンター試験の易化に複雑かつ戦々恐々とした日々を送っているふるきちです(苦笑)。


さて先日はsilvy氏が独特のマンガ論を展開してくれましたが、ちょっと引っかかったのがこの部分。

「逆に少女マンガで熟成し過ぎた点(少女マンガで収まりきらなかった点といってもいいでしょう)が、現在の“萌”文化へ繋がったと考察することもできます」


うーむ、僕は80年代における少年マンガと少女マンガのボーダーレス化は(シームレス化といってもいい)認めるけど、それが「萌え」文化につながったとは思わないのですね。


むしろ現在の「萌え」文化は、男子のアニメ少女への萌え、女子のボーイズラブへの萌え、ともに背中あわせに反対の方角を向いてる気がするのですよ。
その証拠に80年代の少年マンガと少女マンガのボーダーレス状態が90年代には早くも崩壊し、完全なる棲み分け状態が21世紀になっても続いてるという感じなんですね。


ついでに言えば、僕は現在の萌え文化の本格的ルーツは高橋留美子の「うる星やつら」や「めぞん一刻」にあると思うのですが、高橋留美子がついに一回も「少女マンガ」を描かなかった(多分これからも)という事実は、「萌え」は男子と女子がついに向き合えない状況下で成立していることの何よりの証明だと思うのですね。


ちなみに今唯一のボーダーレス漫画家と言えば安野モヨコ。「ハッピーマニア」を超えて、「働きマン」は日本人全員が読むべき名作となりつつあると思いますね。夫の庵野秀明がついに「エヴァ」以上のものを作り得てないのとは偉い違いだ(笑)。


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