やれやれ。

やはり危惧していたとおり、「村上春樹」よりも、「サブカル」の方がメインになっているようですなw。まあ、いいけど。

あらためまして、silvyです。フルキチ氏もミヤ氏もいないので、私が勝手にカキコします。例のごとく、私はお下劣、はみだし系ですので、皆さま軽くスルーでお願いしますね。

さて、先日のフルキチ氏のカキコを見ると、年ごと(クロニクル方式かw)に区切ってサブカルを論じる旨の文章がありました。そこで私は、年ごとではなく、「テーマ」によってサブカルを論じたいと思います。

村上春樹の「1973年のピンボール」が発表されたのは、フルキチ氏が言われたように1980年ですが、この記念すべき(?)1980年から1990年までの10年間は、まさにあらゆる“サブカル熟成準備期間”だった、といえると思います。
こうしたサブカルの中で今回は「マンガ」を取り上げたいと思います。

1980年に一年遅れることの1981年、私が中学生になった年であります。それはまた、私が本格的にマンガにはまるきっかけとなった年ともいえます。中学の部活で庭球部を選んだのは、1979年に『少年ジャンプ』で連載の始まった小谷憲一の『テニスボーイ』がきっかけですし、アニメの『うる星やつら』を見たことから、はじめて『少年サンデー』を買って読むようになりました。
当時『少年サンデー』や『ビックコミック』などは最盛となった時代であり、前述の高橋留美子の『うる星やつら』、『めぞん一刻』をはじめ、数多くのマンガ文化が繁栄した時期であるといえます。(ところで、『めぞん一刻』はドラマ化されるそうですね。『西遊記』のように期待はずれに終わらないことを願います)

このマンガ文化の中で注目したいのは、「少女マンガの読者層の広がり」です。
具体的に作品名を挙げて言うと和田慎二の『スケバン刑事』がその端緒であると私は思います。
当初は、斉藤由貴南野陽子、浅香惟が主役となったドラマのほうが脚光を浴びる形でしたが、それがきっかけで原作マンガに注目がいったのだと思います。
和田慎二の作品については後述で詳しく説明しますが、『スケバン刑事』が連載されていた白泉社の『花とゆめ』には、すでに魔夜峰央の『パタリロ』や美内すずえの『ガラスの仮面』なども掲載されていました。ドラマのスケバン刑事南野陽子が主演した「スケバン刑事2」が最もヒットしたわけですが、その視聴者の構成は「ティーン層(男性)」と「M1層」が多くを占めたと思われます。
このティーン層(男性)やM1層が原作の掲載されている『花とゆめ』やコミック化された『花とゆめコミック』を閲覧するという行為こそが、前述する「少女マンガの読者層の広がり」=「少年マンガ・少女マンガという境界を男性陣が越えた」きっかけとなったと思うわけです。今では当たり前の風景ですが、「少女マンガを“男性”が読むことは恥ずかしい」という認識が当時は大きく、少女マンガのコーナーへ踏み込むことは勇気がいったものです。ですから、男性陣で「少女マンガを読んでいる」と言うことは「ある種のカミングアウト」に近いものがあったわけです。このことは、NHKで放映されていた「YOU」という番組で“少女マンガ特集”が放映された際に、司会の糸井重里をはじめとする出演者が同様の旨のことを言っていたことからも分かります。

いずれにせよ、こうした要素によって1980年から1990年にかけて、少女マンガは成熟、最全盛期を迎えていったのだと思います。
雑草社から発行されている『ぱふ』では、「好きな少女マンガベストテン」や「好きな少女マンガキャラベストテン」なる特集まで組まれ、シャールやサイファ成田美名子『エイリアンストリート』、『Cipher(サイファ)』)、レイフ(渡辺多恵子『ファミリー!』)といった名前があったことを記憶しています。

蛇足ですが、こうした現象をまとめて「男女間のシームレス化」と呼びたいと思います。それは、男性の女性化と女性の男性化につながる「男女の中性化」という要素です。前述の男性側の女性分野へ進出とフェミニズム運動やジェンダー論争によって生まれた女性側の力の増大といった双方の歩み寄りによって生まれたものでしょう。この点で、1960年代から1970年代にかけて起きたフェミニズム運動は女性側のみのアプローチであり、男性側のアプローチがなかったこと、また、思想的運動ではなく文化的因子による無意識下の融合ではなかったことがこうした「男女間のシームレス化」につながらなかったのだと思います。
1980年代に生まれた「男女間のシームレス化」というのは、前述したフェミニズム運動やジェンダー論争といった思想的運動要素ではない文化的因子が密接に関係しながら今日のような普遍化を遂げたのだと思います。
柴門ふみ原作でドラマとなった『東京ラブストーリー』や村上春樹の『ノルウェイの森』のヒットもまた、フェミニズムや男女同権といった要素がよく挙げられますが、「男女間のシームレス化」の象徴の一部、あるいはその端緒でもあったと私は思っています。

本論に戻します。従来少女マンガ、少年マンガといった限られたテリトリーが壊されたことによって、少女マンガは成熟した市場となったわけです。逆に少女マンガで熟成し過ぎた点(少女マンガで収まりきらなかった点といってもいいでしょう)が、現在の“萌”文化へ繋がったと考察することもできます。(ただし、現在の“萌”文化は、少々誇張しすぎている点があり、一部分のみを見てしまうとそう見えないと思いますが・・・)。
むろん、1980年代の少年マンガにもそうした“萌”文化の端緒となる部分はありましたが、少年マンガという一分野ではなく、少女マンガとの融合や競争といったものも大きく影響していると思うわけであります。そして、それは、少年マンガ、少女マンガと同様に、青年マンガ(『ビックコミックスピリッツ』等)、熟年マンガ(『ビックコミックオリジナル』等)などといったマンガの細分化、広範囲化といった要因も加えないといけません。
いずれにせよ、1980年代は、細分化、広範囲化・多角化、再融合という数多くの現象を生み出し、1990年以降から現在につながる熟成したサブカルチャーが達成したわけです。
1980年代は日本経済最繁栄期でしたが、サブカル文化面でもそうした歴史があったわけですね。

私見ですが、こうした時代に付随したカオス的なものを村上春樹の作品に感じ取れます。(だからこそ、私は村上春樹の作品が好きなのかもしれませんが・・・。)

本当は和田慎二の話をしたかったのですが、字数が多くなるのでまた別の日に。ではでは。