猪木「道」から引き出される、誤用についての考察その他。

昨日につづき猪木引退記念日特集(でもないか・笑)。


猪木がよく引用するかの有名な詩「道」。

「道」

この道を行けば

どうなるものか

危ぶむなかれ

危ぶめば道はなし

踏み出せば

その一足が道となり

その一足が道となる

迷わず行けよ

行けばわかるさ


これを猪木はよく一休禅師の作として紹介していますが、ちょっと考えればおかしいってことは分かりますね。「一休は室町時代の人なのに、なんで文語文じゃないんだ!!」って話で(苦笑)。そこで調べてみると、これは浄土真宗大谷派の住職であり大谷大学助教授でもあった清沢哲夫氏の詩の改作なのですよ。

http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000028008

http://plaza.rakuten.co.jp/dch30/diary/200612020000/

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B2%A2%E5%93%B2%E5%A4%AB

しかしここで気になるのが、浄土真宗住職の清沢氏の詩をなぜ臨済宗の禅僧・一休のそれとして猪木は紹介しているのか?ということですね。
これは思うに(というか勝手に想像するに・笑)、
ある時何かの事情で浄土真宗のお寺を訪ねた猪木が清沢氏の詩がかかっているのを見た猪木が「おっ、これは良い詩だ書き留めておこう」とメモ。
その後しばらくほったらかされていたのが、新日本の道場にかけるべき文章を決めねばというときにこのメモが引っ張り出され、
「おお、これがいい。しかしどこの寺で見たっけなあ、うーん・・・まあいいやどこだって! どうってことねえよ! 一番有名な坊さんのにしとこう(笑)」
後日。
「おおこれはいい詩ですねえ、猪木さんこれは誰の詩ですか?」
「これはなあ、一休禅師の詩なんだよ。ンムフフフ」
てな調子で決まってしまったのではないかと(笑)。
しかしまあ猪木らしいといえば猪木らしいアバウトさですわなあ(苦笑)。


しかしこんな風に猪木の誤用(というか引用元の忘却もしくは無視・笑)を笑っているこちらもとんでもない誤用をしていたことが判明。
ちょくちょくこの日記でも紹介している小谷野敦氏のこちらの文章。

http://www.ittsy.net/academy/instructor/atsushi2_3.htm

最初は「小谷野先生、そんなの知ってますよ、ふふーん」てな感じで読み飛ばしていたのですが、平安時代の女性の名称のとこで愕然。小谷野先生、そうでしたかッ!! 僕はまた平安時代の女性の名はみんな音読みで(たとえば「中宮定子」は「ちゅうぐうていし」というように)と読むもんだと思ってましたよ!!  まさかそれが明治時代の学者が勝手に作っていた慣例だったとは。
まあ考えてみれば、当時は官職名の「大納言」だって「だいなごん」と読まずに「おおきものもうすつかさ」と読んでたくらいですからねえ。人名が音読みでないのはむしろ当然であったか。しかしこれでいくと高校の教科書はすべて訂正せねばならぬことになるのでは。いやはや慣例というのは恐ろしいものですなあ。学問の世界はやはり奥が深いのです。改めて自戒と反省のふるきちでありました。ではではまた。